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キャンティーンの「働く人間」曼荼羅。
今日は気分はわりと爽快だったんだけど、体の中全体、内臓とかそういう肉体的なのがすごく疲れてる感じがしました。

珍しく下痢もしたし。

たぶん昨日のショックが年なので時間差で体に来たのかな~?



キャンティーンセバは相変わらず楽しくやってます。

だんだん、みんなの様子が見えてきて、自分の立ち位置みたいなのもわかってくるのでやりやすくなってきてます。



最初、英語力の不足で話がかみ合わないのかと思ってたら単に年代の差によるものだったり。爆?


けっこう若い男女が多いので。年齢聞いてないけど、二十歳前後の子もっけっこういるんじゃないのかな。


でも若い子はどこもかしこもぴちぴちでいいですね。

若いエキスを吸い取る親父の心境です。


でも若い男女は暇さえあれば群れて誰はばかることなく全開で交流してるケースも多いので、一応アシュラムでは男女の交流は控えるように薦められるので、

う~ん、、、と思ってる年配や、旬を過ぎた年増は多いはず。笑


ムチムチフェロモン女子は国に帰ったのかと思ってたら単にバンガロールに行っただけだったみたいで戻ってきました。

なので今は基本、オーストラリアのオバチャン(ちっさくてクルクルよく働く)と、ムチムチラテンフェロモン女子(たぶんはたちくらい)と、私の3人で組んでサラダの世話をしてます。



ムチフェロモン女子と私は意外にも、何にもお互い引っかからずにすごく平和に一緒に働いています。

お互い仕事のやり方が結構思い切って適当なとこがあるので、お互いのそういうとこに目をつぶるというか、あ、まだまだ許容範囲ね、OKOKと感じるというか。

オーストラリアのオバチャンは基本的に気合はいってて、すごくきっちりこまめに管理していつも何か動いているので、オバチャンがいるとサラダは美しくて新鮮で充分な量がある。

この前ご飯食べながらしゃべったらオバチャンは35年位前から来てる古い帰依者だった。

すごくきっちり仕事する人だけど、さっぱりしてるので全然嫌な思いはさせられてない。
言われたことをやるの忘れてても「あ、忘れてた」と言ったら、オバチャンは小さくうなづいてすでに次の仕事に取り掛かってる感じ。


フェロモン女子は現場からよく消えている。笑


ムチムチで堂々としててかわいくてピチピチに若いので男性に人気で、なんか人生を楽しんでる感じ。

ラテンの人特有のものもあるのか、すごく雰囲気が男前でリーダーっぽいので、私と違うタイプなので、そこでそういうしぐさをするか!とか、見てていちいち感心してます。


オーストラリアのオバチャンは仕事に関してすごくいっぱいしゃべって延々と教えてくれるので、だいたい自動的に聞きながしてしまう。


でもすごく仕事を隅々まで自分で管理してる感じで、
仕事内容を教えてもらうと言うより、オバチャンが編み出した仕事のルールや工夫をのみこむかんじ。


サラダ係りになって、キャンティーンが開いてる時間にご飯を食べるのが難しくなったので、
最近は取っておいて、キャンティーンがしまって、後片付けも終わってから裏で食べてます。

なので必然的にほかの人としゃべる機会も多くなり、さらに人間模様が見えてくるというか。



先日はやたらよくしゃべる、でかい、エジプトとロシアのハーフの男の子(おじいさんはインド人でおばあさんはジンバブエ?なんか聞いてもわけ分からなかった)と、職人気質っぽいカナダの好青年と一緒になった。

エジプトの男の子に日本と中国はどうなのとかいわれたので、戦争しようとしてるとかなんとか答えたら中国の味方する国はすごく少ないでしょとか、戦争したらどっちが勝つの?とか聞かれたので、

戦争にならないのがいいんだけどみたいに答えてたら、ピカチュウがかつの?スモウが勝つの?とか言い出したのでまじめに答えて損した。


日本人と中国人と韓国人はどう違うんだとか言われたので、
ほとんど同じと思うけど、、、日本人は中国人より丸い顔かもとか言っていたらエジプトの男の子は中国人はすごーく目が細いけど日本人の目は丸いとか言ってて、

そしたらカナダ人が

日本人と中国人はぜんっぜん違うよ。エジプトとロシアくらい違う!!と言いだして、

それを聞いたエジプトの男の子はなぜかすべてを納得していた。


日本と中国って、エジプトとロシアくらい、そんなに違うんだろうか?笑

カナダ人青年は何か個人的な経験則から言っているように思えました。
やけに強く言い切っていた。


働いてるメンバーは南米、アルゼンチンの人が結構多くて、情熱的かといえば、やっぱ情熱的で。笑
エジプトの男の子もやけに熱くて同じような世界というかわりと世界が似てる感じがするんだけど、
さすがにカナダの青年はクールで。。。

その温度差がわりと面白かった。


カナダ人が今カナダはマイナス4度くらいだと言うと、エジプト人が「うわー!ものすごい寒いね!!!」と抜群のテンションでリアクションするとカナダ人は小さく笑って「そんなの寒くないよ」とノーテンションで返していた。


エジプト人は2週間東京に行ったことがあるけど誰に話しかけてもみんな後ずさりして、あっというまに逃げたらしい。爆

日本の女子はすごくクールだ。。。

とショックな感じで言っていたので、日本人は普段英語使ってないから、英語をしゃべれないからそれで話すの怖がってたんだと思うよ!
と言っておいたけど、彼のみた感じとハイテンションが怪しかったのかもしれない。。。

日本はすごく変だった。
どこもかしこも看板があって、テレビゲームの中にいるみたいだった。
ホテルの部屋もすごく小さかった!すごく変だった!
とも言っていたので、(カプセルホテルにでも泊まったのか?)

う~ん、東京は標準的な日本の町じゃないから。。。

日本は北はすごく寒いし、南はインドと同じように熱いから、南に行ったらきっと気に入ったと思うよと言ったものの、

小さい部屋でテレビゲームのような町で、話しかけるとあっという間に逃げる日本人の女の子達の体験のほうがエジプト×ロシアの男の子にとっては、鮮やかな日本(東京)体験で面白かったのかもしれない。


今日は誰か中国人の女性が料理の仕方を教えに来てて、
ものすごくけたたましくしゃべり続けていたのでインド人スタッフを含め全員が唖然としていて、
その中国人女性に料理を習わされていたアルゼンチンの男性はすでに話を聞かずに調理室の外の離れたところで直立不動で敬礼してみせていて、それを他のアルゼンチンの人たち(含:ムチフェロモン女子)が見て笑っていた。

なんだろう、中国人にしてもけたたましすぎたので、雰囲気に負けないように威嚇してたんだろうか。

倉庫でその中国人女性(たぶん香港とかの華僑と思う)が何かを探していたので、何を探してるんですか?と話しかけたらもごもご言って、ごく普通の雰囲気だった。



今日のサービングで隣にいたオバチャンはヨーロッパのどこかの国の人だったんだけど、3回くらい名前聞いてもその国を知らなかったので認識できなくて、

ブラジルに住んでるのかと3回くらい確認してしまった。

なんか、ブラジルみたいな名前の国だったので。



昼ごはんを裏で大勢で食べてたら、セバの20代くらいの男女群が、今後どういう旅行をしてどこにどれだけ滞在する予定かというのを話していて、

いろんな国からみんな来てるので、今後行こうと思ってる国の人がそこにいたりするので、楽しそうにけっこう盛り上がってました。

そっかー、みんな、これからいろんな国を回るんだなーと、新鮮な気持ちがしました。


二十歳くらいでこういうとこで働いたりするのって、刺激的で面白いでしょうね。


そういえば私も沖縄の民宿で日本各地から働きに来てる若者の一人として働いていたんだった。
(働いてる人全員キャラ立ちまくりで独自すぎる人たちだった。仕事きつくて明け方に脱走して消える人とかもいたけど楽しかった。ちなみに日給1400円でした。)


ウエスタンキャンティーンセバは、その、ワールドワイド版ですね。(さらに激しくありえないレベルのキャラ立ち)


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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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