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夜が明けた
マハークンバメーラの会場を後にして、夜行列車でデリー方面に移動中。

もう夜が明けました。

今は7時54分です。


昨日の夜11時半に出発の列車だったのですが、

駅に向かう途中でなんかしんどくなってきて、ちょっと気持ち悪くて、

これは、駅のバイブレーションがどうこうというのというより、

12日間くらいのクンバ会場での暮らしの疲れかなと思いました。


思ったより全然余裕で快適に暮らしていたのですが、

自分でも気がつかないような神経の消耗とかそういうのもあったかも。


たまたま、泊まってたアシュラムのグルジが翌日くるというその前の晩に出てきたので、
20日に去るというのはそのこグルジ関係なく最初から決めてたのですが、

アシュラムの人たちも、明日までいたら直接グルジに紹介してあげるのに、とか言ってくれたりして、残念がってて、

まあでも私は何も考えずに出てきたのですが、

何で自分てこうなのかなと思わずにもいられない面もあり。

別にそこのグルジに会ってもよかったんだけど、そしたらアシュラムの人たちも満足するだろうし。

でも、そういう態度を期待されてるのではないか。笑


唯一の外人として(最初の数日は友人たちが一緒だったけど)1週間以上滞在してたので、
良くも悪くも注目されてたと思うんだけど、

そういう、そこの人たちの集団意識と自分とのなじみあいがどう調整されてるのかというのが私の健在意識のキャパを超えててその流れを体験してる私の脳神経は奇妙に疲労した面があるのかも?



グルとその追随者というのにも改めて思いをはせずにはいられなかった。

最初一緒に滞在してた日本人の知人は、いろんなとこに行って、そこのグルジにパダナマスカールするようなシチュエーションでも、
「私のグルはサイババなので」と、周囲に了承してもらって、サイババ以外にはパダナマスカールしないそうです。

パダナマスカールが日常的なあいさつなインド人だったらまたちょっと違うかもしれないけど、

外人だとむしろそれは特別な意味を帯びる場合が多いからそれでいいんじゃないかな。

エッセンスとしてのパダナマスカールというか。


私も基本的にしないことにしてます。

パダナマスカールはエネルギーを通すしくみでもあるから、
そこのグルジのエネルギーが流れ込んでくるし、

そのグルジがはんぱなとこがあったら、
変にエネルギー的につながると自他のカルマが発動しだすから。

変なことになっていきやすい危険を得ることになる。


もしくは、グルジのグルスイッチが入ってコントロールしはじめる。



そんなつまんないとこに関わるのは自分のカルマだったりもするのだけど、

でもそういうしくみがあるということで。



今はもうみんなほんとに自分がグルで、というか、自分も他人もみんながグルということでOKだと思います。

誰が飛びぬけてるとかそういう違いは本当に些細な事のように思える。



でもみんながグルだったら収拾がつかないしみんながエゴ丸出しになってどうしようもないから、
それはそれ、
みんなが基本俺様であっても、その俺様の質を向上させていく仕組みも同時に発動させてる必要があると思います。


それがいわゆる浄化で、
そうしていくことで人と人がそれぞれの質を保ちながら歩み寄って調和していくことが可能になってくる。

と、おもう。



そのための、より浄化された俺様としてのグルは参考になると思う。




世界は多層で複雑で無限で。


でもそれらを統一してつなぐ一筋の糸がある。





わたしは自分がサイババの帰依者だということに何か抵抗があって、

グルがサイババだということも同様で。

よそからみたら完全にそうなのかもしれないけど。



私にとってサイババと自分はグルと帰依者のエネルギーの流れを示す縦の線上には並んでないような気がして。



グルって。。。


と、今朝目が覚めて少し思いをはせてみて、

イメージでサイババを償還して来てみてもらったら、

そこに銀河とか宇宙とかそういう深いものを感じた。


サイババは、あんまり人間て感じでは私はつながってないんだなーと思います。


サイババのその人間としてのキャラに焦点を当てて感じてみるとき、

モンチッチみたいに小さくちょこんとまとまってかわいい感じがする。



だから、サイババというのは私にはその姿かたちはグルにはなってないんだと思います。
そういう関係じゃなくて、
「サイババちん」と、おちょくり基本てかんじになっている。



でもしれはそれで、


サイババを呼んでみるとき、サイババという場で宇宙や銀河とかそういうのを見せて体感させてくれる。


そこにはグルとか追随者とかそういう関係性がなくて、
ただ、そういう体験だけがあって、たぶん私もサイババもない。



この静かで広大な深みには人が人と関わるときの興奮はない。



グルという言葉は日本ではこなれていなくて、相対化もされておらず、闇の中の奇妙な束縛間を感じるのだけど、

日本人の世界髄一の洗脳されることにむいてるキャラクターがグルという言葉をむしろ自分達の中に閉じ込めたんだとおもう。



インド人のいうことを聞かなさはグルという言葉も明るくて面白いものにしているように思う。





私は思いました。

インド人は母に抱かれている国民だと。




だからインド国民は全員いうことを聞かない男の子のように好き砲台して、それがすべて許されている。

インドという国はそれそのものが母なる女性性として信仰対象になっているし、


今回のクンバメーラもわたしは修行者の祭典だからシヴァのイメージが強かったんだけど、

なんのことはない会場は常にガンガーやヤムナー川など母である川をたたえる言葉に満ち溢れていました。


そしてすべてのグルや帰依者や修行者、巡礼者はその母なる川に抱かれるためにここに来ていた。





一方日本は天照大神は女だけど、実は男とされる説もあるように、


国としてはとても男なのではないかという気もしました。

国の形も竜のようだし、それは性別で言うなら男なんじゃないのかな。


そうして国民はそれに依存し、無意識であることを喜ぶ全員が女。



日本の人たちが目覚めればそれが世界の先駆けtなるとかいうのはそういうことなんじゃないかなと思いました。



そしてそれは私が日本にいることが何か難しいように感じることの理由でもあるかもしれません。

女に依存された男と依存している女はそれを喜んでいる限り、閉じていて、母からは切り離されていて、

わたしは母性というにはあまりにも浅はかだけど、

そのように閉じたところからは必要とされず、はじかれる性質があるように思います。


インドはむちゃくちゃして悩ます男の子のように、はじくよりむしろ中をぐちゃぐちゃにかき混ぜてくれる。



グルということでいうなら、

わたしはどのグルも自分の宇宙としては必要とはしないと思う。

愚痴的な技術を教えてもらったり、そういうことを通してその人間性の薫陶を受けるということはいつでもあると思うけど。



サイババはそこに銀河とか宇宙とか何かそういうものを感じるけど、そのときサイババはいない。


なのでグルかと言われるとわかんない、となってしまう。


サイババは等身サイズで動く宇宙だけど、サイババではない。



ましてやグルでもない。











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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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