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満月の日の変容②
昨日はそんなわけでいろいろ展開があったり、意識して展開させたりしました。

数日前に実家に電話して、春休みに子供もくる気になってたし、インドに呼ぼうと思ってたのだけどいろんな面で力及ばず申し訳ないと詫びを入れようと思ったんですが、

「そんなに無理しなくても」と言われた。

いろいろ大人な態度を身につけていってるのはいいのかわるいのか。

日本での生活に入り込んでいくにつれて、プッタパルティにどんどん引力を感じなくなってきているということでもあると思うんだけど。


やはり一度インドを離れてしまうともう二度と戻れないものがあるなあと思います。

ビギナーズラックみたいなものってあるから、

わけのわからない状態でいろいろやってみると分けのわからんままうまくいってるというやつ。


出来ればそういう状態を保ってやりたかったんだけど、

いったんインドを離れて日本で自我を確立しつつある状態ではもう同じような感じではインドに戻ることは不可能だと思います。



まだ、もとだんなが協力して子供を呼び戻すとかいうことであれば状況も違ったかもしれないけど、そうはならなかったので、

また、もしそうなら2番目の子供の助けも入っていて状況が底上げされる予定であったと思うんですけど、そうもならなかった。

(2番目の子供については結婚するずいぶん前から自分でも感じていたし、夢でもババと何度かそれについて話していた)

主名については、彼が生活拠点をまたインドに戻したいと思うことがあれば可能かもしれないけど
そうじゃないともう無理だなと思います。

でもそう思える可能性を残すために英語を継続して勉強させておいて欲しいんだけどそれも出来ていない状態。

インドにいる人はけっこう主名が去ったことを残念に思う人も多く、

先日もサイスクール関係の教師の誰かがいまだに主名のことがやたらいつも脳裏にちらついてくるということで、インドに戻ってくることを前提に、よその地域の評判のいい学校の校長に、入学の話をつけてくれたらしいです。

もう、日本の学校に通っているからと断りましたが、ありがたかった。

いまだに、子供の姿がないと、子供はサイスクールに入ったのかと嬉しそうに無邪気に聞いてくるインド人が多いです。

この子はサイババの学校に入るだろうと無邪気に思い込んでいた人が多かったので。
また、実際、そういう風にいろんな人に言われもしたし。



いや、外人は取らないと校長に言われたと何度もその都度説明するのですが。(強力なコネなどあれば別)


血の感覚は、やっぱりインドはとくに強いなーと思います。




そういう血の濃い学校によそものとして入れなかったならそれはそれでいいと思うんだけど、

ババの直接の指示で入ってもコネなしの一般人的な外人の子供へのいじめや風当たりはものすごく強いみたいだったし。

まあそれはそういう性質の集団として自然なことだったんだと思いますが。

純潔を守ろうとするゆえに排他性もすごいみたいな。

そこらへんは団体となるとサイババ本人とはどうしてもズレが生じるのも自然なことだと思います。




なので、一般外人の私の子供はそこに属させるには親の徳足りず、一般のお金さえ出せば誰でも入れる学校でとりあえず落ち着いて、


わたしも、ようやく子供の英語とヒンディーの習得が乗ってきて、同時に日本語補習校にも楽しく通わせだした矢先で、今までいろいろ大変だったけど、ようやく生活が落ち着きそうだと思い、可能性がいっぱい見えてきて楽しみになってきた状態で突然切れてしまったので残念ではあった。

そして復活させる気力も私が持てなかったし。

日本においてきたときは私も子供も3ヵ月後にはインドに一緒に戻れると思っていたのだけれど。



まあ、そういうパターンというのもあるけど。
なんかこう、すべてが満たされてこのままずっといけそう、と思うや否や思わぬ転機が訪れるような。


こうなる運命だったんだよという運命論者もたくさん世の中にはいて、

私も昔はそういう考えのときもあったと思うけど、

すべては最善だ、という。



確かにそうなんだけど、

私はたくさんの最善の道があって、どれも最終的には同じとこにたどり着くという意味ではどれも最善。

でも、最善はひとつだけではないとも思うんですよね。



今回の一連の出来事は私の好みのパターンの最善ではなかったのでざんねーん。


全部自分が引き起こしているというのもそうなんだけど、

たぶん、私個人のことではないというのはよく感じます。

どういうことかというと、

私の好みの最善のルートがあって、そこをいくならおとぎ話のように何もかもつじつまが合って最高に楽しいルートというのが、私は好みなので、その路線で行くんですけど、

そういうのを好む人ばかりじゃないということ。


苦しみたいややこしい人がたっくさんまだまだいるので、

他の人たちとの交流の中でそういう最高にラクチンルートはスポイルされて亡きものにされてしまう。

つまり、人間の集合意識はそんなのまだ許しませんよ、という態度なので。



なので、物事はプッタパルティバイブレーションの中で進めるのがそのおとぎ話性が一番守られるのですが、

そうならず、

分離的な思考で何もかもバラバラになってしまった。


そしてプッタパルティバイブレーションはホントは今最も必要とされているすべてを超える力でもあると思うのだけど、

おとぎ話の夢物語として現実味を奪われてしまうのですよね。

もしくはネガティブなイメージを付与されて不当に見下げられてしまうか。


それでも主名は人生の大半をプッタパルティで過ごしたから、まだそのリアリティを自分のリアリティとして想起できるキャパシティがあるので、
なるべくひんぱんにつれてきてやりたいとは思うのだけれど。


でないと私とのつながりも切れるか、もしくは私が子供のより分離したリアリティに引っ張られて混乱して、それもよくないので。



電話してたら頼みがあるというので何かと聞くと、

お菓子を送って欲しいとのこと。



わたしの母に言われていってるのかと思って聞いたら違うということで、実家にあんまりお菓子がないからと。


「できたら、でいいんだけど」と何べんも言うので、

「できるよ」と答え、


よしきた、とばかりに早速数日前にアシュラムのショッピングセンターに行って大量に買い込みました。

少し手をかけて作るタイプのお菓子の元や、インドの軽食の素材なんかも一緒に。


お菓子とかを選んでるうちに、
そうか、主名は頑迷にべジを日本でも貫いてるから、お菓子もあまり食べるものがないんだなと気がつきました。

今までそのことにはあまり気がつかなかった。


春休みで友達も遊びに来るだろうし、山のように買ってパッキングしました。

春休み中に届けばいいけど。


インドのインスタントラーメンも子供は大好物なんだけど、明らかに添加物やまもりでもあるのでそれは今回は入れなかった。

多少体に悪いのには目をつぶって、いろんな味のポテトチップとか、チョコのついたビスケットとか、

スナック類を大量買いしました。

そういうの、日本ではもれなくなにか動物性のものが入ってるから、食べられないんですよね。

インドでもそんなに食べさせてはいなかったんだけど。


こっちではココナツとかフレッシュジュースとかそういうのがどこでもすぐにあるから。



春休みに子供をこっちに呼ぼうと思ってて力及ばず出来なくて、

日本で行き詰って頼ってきた元だんなもプッタで暮らしてしばらくして元気になると、インドや~めた、とまた日本に戻り、その後はエネルギーを私と子供には漏らさないように決めたらしく、すでに扉を閉めて音信不通を決め込んでるし。

それでここしばらく少し自分の情緒も不安定気味だったんですが、

お菓子を所望してくれて少しは気が晴れた。



私と関わると自動的に変容させられることになるから、あわてて逃げる人も多いんですよね多分。


慣れ親しんだとこの方が多少不自由でも安心できるから。


わたしもそういう自分の性質がむやみに作用しないように、なるべく人とは距離を置くように心がけてはいるのですが。


もしくは喜んで変容する準備の出来てる人だけと接するとか。?


たいがいみんな、一歩足を踏み入れてはみるものの、その先へはついて来れないかな。



といっても、わたしは薄らぼんやり気楽に普通に暮らしてるだけなんだけど。

そうなるまでにきっといろんなものを手放させられることになっているのかも。



昨日はそのようにお菓子をパッキングして、さらに木箱に入れて送ろうと思って、木箱の注文をしました。

あと、歌もまた習い初めてみた。


今度行ってみたとこの先生は歌は上手。

ヒンドゥスターニスタイルらしい。

私が今まで習ってたのはカルナータカミュージックなので、ちょっと違うそうです。

その先生いわく、カルナータカミュージックはリズムを刻むことにすごく集中してていっつもがんがんリズムを刻んでるから彼女はあんまり好きじゃないらしい。

ヒンドゥスターニだと、そんなにがんがんリズムをきざまずに、もっと情緒深く流れるような歌い方だそうです。

なので、その先生はヒンドゥスターニが好きらしい。

ま、私からしたらどっちも似たようなもんだけど。



その先生は少し狂気はいってる感じでデービームードがちょっと漂ってました。

だいじょーぶかこの人!?

と思ったんだけど、まあ、適度に距離を置いていいとこだけ吸収できるようにちょっとやってみます。


がんがん締めてこようとするので、

「わたしはシリアスじゃないし、練習も自分がしたいときにしかしないし、ここへは単に歌ってエンジョイするために来てる」というのを何回も繰り返して伝えました。

インド人の先生の常として、まず生徒の自我を殺すということを本能的にやろうとするので。

ほんとに最高の先生なら自我を殺されても益になるかもしれないけど、

そうでもないから相手の自我に自分を明け渡すことはしない。


インドにいると人と関わるたびにそれの繰り返しなので、下手に相手に合わせないことを、それこそ罪悪感なしに出来るようになった。



先生は「わかってる、わかってる」といいつつも、締め付けるのをやめられない。笑

きっと、そういう風に育てられてきたんだろうなーと思いました。

頭ごなしに否定され続けて。


私がサリー着てるのを見て、自分はサリーを着られないとか言うので、

なんで?ババの学校で着るでしょう?と聞いたら(中高生くらいの4年間ババの学校に在籍してたらしい)
あれはセパレートタイプで、着るのがすごい簡単なんだ、ということでした。


なんか、相当脳にストレス抱えてる感じで、だいじょーぶかなーという感じの先生だったけど、
(一緒にいたら私の頭も痛くなってきた)
ま、ようすみてみます。

2歳から音楽やってるとか言うだけあって、音楽的なレベルはとりあえず満足できたので。



あと、新しいお手伝いさんも呼んでみて様子見てみようかと思ったんだけど、
なんかびびったらしくて、部屋まで来ずに途中で帰っちゃったらしい。。。


あと、さっき、植木を3つくらい植え替えた。


サルに丸ごと食べられたバナナの木を救済してサルの来ない部屋で育てようと思ってたんだけど、

植え替え中に目を話した隙にサルが来て、残った新芽も全部食べられてしまった。

この状態から復活できるかどうか、かなり厳しいと思うけど、まあこれも様子を見てみることにします。


他2つのバナナの木はすでに救済して、部屋で新しい葉っぱを出してます。
そっちは充分復活しそう。


さ、日本から持ってきたべジラーメンでも作って食べよう。
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テーマ:日記 - ジャンル:心と身体

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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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