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ここしばらく
ここしばらくなにがあったかというと、土曜の午前の授業が終わっても主名が帰ってこないので学校に迎えに行くと、年長の男の子達に囲まれて泣いていたので、何があったか聞いたら、先生に連れられて学校(マンションの一階全部が学校で、上階は一般の人が住んでる住居)の上にエレベーターに乗せられて連れて行かれ、行った先の知らない部屋に知らない男の人がいて、その人がちょっとたたいたか何かして、だから泣いた、とのことでした。

ここの先生もよく何やかんややらかしてくれるわと半ばあきれつつ、でもこれは校長に報告しておかないといけないと思ったので、主名と、一緒に座って慰めてくれてた年長の子供達から話を聞いておおよそのことの成り行きを確認してから校長のところに行きました。

詳しく書くのもだるいので省略しますが、校長はさすがに、その教師を呼び出して話を聞きました。
その教師は呼び出されてきたとたんすでに激昂して逆切れしていました。

で、主名が行きたがったからだとか、屋上に連れて行って景色を見せただけだとかうそばっかり言って、
校長は生徒をいらんところに連れて行くのはその先生が完全にやばいので、その先生を怒ってはいましたけど、怒りつつも私や主名への攻撃もしていました。
ああいえばこうゆう、という言葉を思い出しましたがそんな風で。
生徒や親の言いなりになってたら学校が成り立たないのは分かりますけど、どうししようもないので、とにかく、先生は生徒をよその部屋とかに連れて行ってはだめだという点だけを強調して、帰りました。
でないと、いつまでもかんかんに怒った校長と教師に攻撃されるので。なんでやねん。

校長は、教師達は子供達にすごく愛を持っているのだ!とか言っていましたけど。「そう?」としかいいようがないです。
そんなに愛があるなら、なんで耳にペンさす?とか。言いましたけど、もちろんああゆえばこうゆう。

どこかに連れて行っておじさんになんかされて主名が泣いたら主名を学校に置き去りにして、その教師はさっさと自宅に帰ってるし。年長の子供達の優しいこと。教師のひどいこと。
教師はほとんどがうそつきで、校長はそのうそをうそと知りつつ肩をもち。
子供達はみんな見てるから本とのことを教えてくれるし、よく知ってるんですよね。

その日の午後は主名が私が英語を習ってる人のところに自分もいきたいというので連れて行き、一時間ほどそこで過ごした後、同じビルの主名の友達のところに行って遊びました。

日曜は主名の日本の友人が来て遊び、しかし翌日はその子も主名も熱を出しました。
昨日、元気になったそのことお母さんが帰国し、主名は昨日は熱とセキに加え、久々の喘息の大発作でしたが、今日はおさまり、夕方は外に行き久々にババのすがたをみました。
私も学校が無いとのんびり出来ました。
明日の午後から又学校に行かせる予定です。

そんな学校に行かせる私に対する非難があるのも知ってますが、今は続行です。




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【2008/08/28 00:58】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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