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国内移動
3日前は横浜の家からそんなに遠くないところに住んでいる、関西出身のやはり小さな子のいる知人宅に遊びに行きました。

プッタパルティで会ったときは、そこの1歳の女の子は、3~4日間で一度だけ笑った顔を見たので、えらく貫禄があるというか、根性が入ってる子だなとか思ったのですが、やはり自宅ではリラックスできるからと思いますが、すっごくよく笑って活発に遊びまわっていました。
やっぱり、初めての海外、しかもインドで緊張してたんでしょうね?
お人形にあげるみたいにババの写真にジュースを飲ませてたのが印象的でした。

主名は来月5歳なので、遊ぶには年が離れてると思ってたのですが、対等に、楽しそうに笑いながら2人でずーっと遊んでいました。

おとといはまた別の、こんどは主名より一つ年上の女の子がいる東京のお宅に遊びに行って一泊しました。
そこの家族もこの8月に家族でプッタパルティに来てたのですが、その後、日本の自宅でも朝晩お祈りをするようになったそうで、ヴェーダ、バジャン、アルティ、マントラ、など実に盛りだくさんの内容でした。
これを毎日家族で朝晩(出勤・登園前と夕食前)にしてて、続けてるってすごいです。
お祈りの部屋は畳敷きで、以前ありがとう村のお祈りに参加したときの雰囲気を思い出しました。
あそこも家族が核ですし、朝昼晩と一日3回お祈りの時間があったので。

この知人宅の夫唱婦随の清く正しく美しい雰囲気に触れ、うーん、自分とはずいぶん隔たりがあるなあという気がして考えさせられました。

私の知り合い関係は今はサイババ関係に限られているのですが、サイババ(それと往々にして子連れ)という共通項があるにしても、それぞれの暮らしぶりや状況はもちろん様々で、いったい何が正しいのかとかあるべき姿なのかとか考えてしまいます。
最近接する相手というのはだいたい家族単位になってることが多いのですが、それぞれの家族というのはそれぞれの宇宙を持っていて、個人単位でいるよりもその宇宙は良くも悪くも安定感があるように思います。

よその家族の状況とかに触れると、ついついやっぱり何が正しいのかとかと、そういう思考の方向が出てくるのですが、結局はよその状況というか、自分の外側に見ることの出来る光景というのは参考にこそなれ、比較はそもそも無意味だということに気がつきます。
多分、それぞれがそれぞれの王道を歩く時にそれぞれが幸せで調和が取れるんだろうと思います。

昨日遊びに行ったお宅にしても、いろいろなむちゃくちゃなことも経験した上で彼らの王道である、家族全員で朝晩お祈りして、きちんと地に足をつけて生活する清く正しい道を実現することが出来たわけで、たとえば今私が同じ事をしようとしても多分それは少なくとも今の時点では私の道ではないので偽者にしかならないはずです。(夫唱婦随の時点でもう無理)

それぞれがそれぞれ与えられた条件の中でそれぞれの道を歩んでいることの尊さを感じます。自分のおかれた状況への信頼が大事だなという気がしたのでした。

昨日は知人宅から直接、関西の実家に移動しました。
実家は少し山のほうにあるので、さすがに寒くて、服を着込んでいます。
実家に来ると私も主名もここの空気に関係性を薄められ、お互いの存在をほとんど忘れられるのでいい息抜きになります。
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【2008/09/27 11:52】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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