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にちようび
今日はだんなが休みだったので午後から主名と3人で「こどもの国」というとこに一緒に行きました。
広い敷地内に子供が喜びそうなものが一杯あって、多分まる一日そこで遊ぶ家族連れも多いと思います。

主名はここのミニトレインに乗りたくって、ここに来ました。
こどもの国に着くと早速そのちっちゃい汽車に乗り、池(湖?)に行って、足こぎボートに乗り、たくさんある気のきいた遊具で遊ばせ、子供牧場みたいなところで、そこについたときはすでにもう時間切れだったので、牧場の外から見れる動物を見たりして、そこの牛の牛乳でできたソフトクリームの抹茶サンデーを食べました。

子供を遊ばせるにはすごくいいとこです。

しまるのは一応4時半だったのですが、5時過ぎくらいまでおもしろい滑り台とかで遊んでいました。
インドと違って誰も叱りに来なかったです。
正門は閉まってたので通用門から外に出ました。

今日は横浜センター関係の人が誘ってくれたので、時間があれば夕方からのバジャンに行きたいなーと思ってたのですが、まるで無理でした。

ま、これもある種セバだし、と思って、悔いのないように精一杯遊びました。
でも、2年前インドに行く前はだんなは絶対サイセンターには行かないとか言ってましたが、今日は行くなら行くといった感じだったので、時は流れているなあ、と思いました。
1年半前に帰ってきたときもこどもの国に行ったのですが、そのときと比べても色んな状況や自分の心境なんかはだいぶ違っています。

駅から家までのバスではみんな疲れて寝てました。

うっかり忘れていた、バンガロールからの予約してたタクシーの日時変更をメールで旅行会社に頼みました。

あしたはビザの受け取りに行きます。

もし来年主名がババの学校に入れたら、今度は当分(何年も何年も?)日本に帰ってこれない可能性もあります。
というのは、子供がババの学校に行ってる知人家族(外国人)は、出身国の関係で長いビザがもらえなかったのですが、子供がババの学校に入ったということで、警察が融通を利かせてくれて、滞在許可書の紙だけ出してくれたそうです。
なので、知人家族はその紙でこの4年インドにいます。
インド国外に出ると、その許可書は無効になってしまうらしいので、インド国外に遊びに行ったり、自国にちょっと帰ったりとかできないそうです。

わたしらは日本人なので、帰国すれば半年のビザはまず確実にもらえるし、この2年してきたように、数ヶ月だとインドでも滞在を伸ばしたりはできるのですが、なんせ私と主名の2人が日印を往復するとお金がかかってしょうがないので、もし知人家族のように帰らずにすむならばずっとインドにいます。
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【2008/10/05 22:00】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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