スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
日本最終日
今日は昼過ぎまで部屋でホットケーキやいて食べたりしてて、午後にでかけてコンビニで空港へ行く高速バスのチケットを受け取りました。

それからスーパーで昆布だしを買い込んだり、陶器やさんで小さいものをいくつか買ったりしました。
公園で少し休憩してからいったん部屋に帰り、また駅のほうへ出て歯医者に行って、主名を見てもらいました。
ジェネラルホスピタルの歯医者に、帰国中に日本でもいっぺん歯医者にかかるように言われてたので。

でもまあ、明日インドに帰るし、結局見てもらっただけでした。
しかし、日本の歯医者はすごいですね。
棒みたいなカメラで主名の口の中をぱしゃぱしゃ9枚ほど撮影して、その場でモニターで口の中の様子の画像をカラーで見せてもらいながら説明を受けました。
予想外の展開にどぎまぎしました。
いやあ、今はこういうのが普通なんでしょうか?
それともそこの歯医者は儲かってるのかな?

そこの歯医者はインプラントもするみたいで、インプラントの説明の本とかあったのでチラッと読んでみたりしました。
その本にはいろんなことがすごい詳しく書いてありました。当たり前だけど。
やっぱり、こういう説明なしでいきなりインドで怖い顔の先生にインプラントをしますとか言われても、怖いですよねー?
だって手術だし。
ババは医者を信じることが大事だとは言うけれど、信じる根拠が必要ですよ。だって医者は神様じゃないんだもの。(ある意味全部が神様だけどそれはそれとして)

しかし、一本30万ですかっ!最先端医療インプラントとやらは!
それを一方的にキャンセルしたあとジェネラルホスピタルの歯医者たちが「もう知らん」という態度になるのも無理からぬことですね。だって、サイババ病院はただだから。
こいつ、ばかか?と。
だって、すっごい怖かったんですもん。

でも、「ばかめ、もうくるなよ」というかんじでセメントでピッとくっつけてもらった歯は今のところ問題ないです。これがだめになるまではこれでいこう。

私の歯の状態でもしまた同じようにはずれたら、きっとまたバンガロールでインプラントコースでしょうから、それまでに情報を見ておこうと思います。

主名の前歯は今抜いても歯並びにはもう影響はないとのことで、今日の歯医者は、ただ、主名はアレルギーがあったり薬を飲んでたりするので、麻酔をするときにはあらかじめアレルギーチェックをしてからしたほうがいいと言っていました。
インドの歯医者は、しないだろうなあ。
だって忙しすぎる感じだし。
きっと、「サイラム」でぶすっと注射して「サイラムサイラム」でなだめておわり。

歯医者のあとは美容院に行って髪を少し切りました。
実に4年ぶりくらいだと思います。
なのでちょっと気分がいいです。

以前はばか高いとこで切ってもらってたこともありましたが(カット、パーマ、カラーで5万とか。アメリカ帰りのカリスマ?美容師)、今日はその店のキャンペーンとやらで1050円でした。

そんなこんなで、今から荷造りです。いつものパターン。
荷造り、荷物が増えてて困難が予想されるので、今日一日そのことを考えてどきどきしてて、まだ手をつけてません。

今から5時間後に、起きて出発する予定です。
関連記事
スポンサーサイト
【2008/10/09 00:37】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<インドへの帰路 | ホーム | 西表>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/580-0403f2e5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。