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インドへの帰路
スリランカの空港ではトランジットでホテルに行った人には「ナイトストップ」と書かれたカードをもらってて、それを持って14番カウンターに来るように言われていたので、行きました。

なかなか人が来なくて、そこら辺の職員に呼び出してもらったりしてやっとカウンターに職員が来ました。
もしかして、ここで、さらに荷物を預けられたらいいなあと思いましたが、成田で2つ預けてるからもうだめといわれました。
しょうがないので重たい荷物を抱えて先に進みました。

スリランカ到着時に1000円両替したのですが、ほとんどつかってなかったので何か買い物しようかと思いましたが特にほしいものもなかったので使いませんでした。
しかし、後から思うと、スリランカからバンガロールへの機内食はパンとジュースくらいで、おいしくなかったので、スリランカの空港で何かちゃんと食べていけばよかったなと思いました。

バンガロールの空港では予約していたタクシードライバーが待ってて、荷物を運んでくれました。
小ぶりのバナナの木を2本、角のようにとりつけているめでたいバンのほうにドライバーが行ったので、まさかあの車。。。?と一瞬不安になりましたが、私たちのタクシーはその裏にとめてあった車でした。

バンガロール空港は新しくて、きれいなので、いくら何度も来てるバンガロールといえども、今までは空港から出るときに多少身構えるような、緊張感がありましたが、今回はリラックスしたままタクシーに乗れて、よかったです。気分的にずいぶん楽でした。

主名は助手席に乗って景色を見ていましたが、そのうち熟睡しました。

わたしは何かちょっと、おいしいのをちゃんと食べたかったので、ドライブインでプーリー3枚のセットを食べました。

その後私もタクシー内の後部座席に横になって熟睡しました。

プッタパルティのアシュラム近くになると街灯がちゃんとついてるので、夜中でしたが、すごくすごく街が明るく感じました。

アパートには夜中の12時くらいに着いたと思います。
アパートの近所もちゃんと街灯がついてて、人のいない道はすごく明るく清潔に感じました。
ドライバーが私のスーツケースの重さに驚いて笑いながら運んでくれました。

今回は帰ってきたときにあまりそうじをしなくていいようにして出たので、帰って1分で掃除完了で、さっさと風呂に入りました。

主名はタクシーでずいぶん寝てたから、すぐには寝ないかと思いましたが、すぐに寝ました。

日本にいると、インドのことを忘れるくらいになってたのですが、インドに戻ると戻ったで、それも自然な感じだったので、それが妙な感じでした。

私は、横になるとなぜか非常な充実感というか、幸福感のような満ちた気持ちでした。
なにか、このままだと至高体験でもしちゃうんじゃないかというくらいでした。

そのうち眠りに入りましたが、すべての感覚が失われた中で意識は眠らず、起きていました。
なるほど、こうきたか、という感じでした。しばらくその状態でいました。

ある種、ほんとに満ちた状態だったんだろうと思います。
何度かこのような状態になったことはありました。
それはすべてが潜在的に内在している完全な状態なんだろうと思います。

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【2008/10/16 01:06】 | 日本帰国時 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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