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ババのバースディ
今日はババの誕生日です。

でもうちらははじめから入るのはあきらめて昼前まで寝てました。
日本のセンターの知り合いカップルの夢を見ました。

一緒にスーパーの掃除をしたり、女性のいろんな体験談を聞きながらその店の中の図書館の本棚の整理をしたりしてたら本の間からへそくりの3万円を見つけました。
そんな、喜んでる、夢でした。

昼に、ウエスタンキャンティーンで昼食を食べたくなったのでアシュラムに行ってみたら、昼だというのにアシュラムの前はぎゅうぎゅうでした。
なんとかガネーシャゲートをくぐって中に入ってしまうとそんなに混雑していませんでした。

ウエスタンキャンティーンでご飯を食べて、こんな込んでるときでもこうやってまともなご飯が食べれて幸せとか思いました。
キャンティーンにいた知り合いの日本人女性が今朝のダルシャンのプラサードを半分くれました。
早朝から、多分3時とかから並んでもらったプラサードでしょうに、ありがたいことです。
半分のをさらに主名と半分こして食べました。

食後にキャンティーンの前で主名は遊んで、私は自分の作業をしていたらインド人のおばさんが話しかけてきて、キャンティーンの前の列はダルシャンの列かと聞くのでそうだと答えると、驚いた顔をして、「わたしはもう行かない。今朝も4時間列を作ったけど中に入れなかったよ」とか言いました。

その後私がコーヒーを飲みたくなったので広い芝生のところでコーヒーを買って飲みました。
雨がぱらぱらと降っていました。
昨日はすごい雨でした。
こないだのヤグニャの最終日の前日もそうでしたが、大きな行事の前日に土砂降りになった道が洪水の雨水で洗われる確率が非常に高いです。
たしか、プッタパルティで行われたアティルッドラマハヤグニャのときもそうでした。

人がたくさん来てるので、病気がはやらないようにということでしょうけど、消毒用の白い粉があちこちの道中にまかれてて、メインロードはまるで雪景色のようでした。
塩素くさくていやだったので、昨日の雨で全部流れて嬉しかったのですが、今朝になると又たっぷり撒かれていました。

昨日はたしかババの学校の卒業式だったと思います。
昨日も中には入りませんでしたが、マイクを通してババが話している声が聞こえました。

アシュラムの中にいるのも飽きたので、外に出て今はネットカフェです。
主名は朝、やっぱり5時間並んで中に入れなかったという知人がチトラバティ川に遊びに連れて行ってくれました。

昨日ブックショップに行ったのですが、やはり日本語の本は同じのばかりでした。
日本で新しい本がいっぱい出てるみたいなので、こっちのアシュラムの本屋でも売ってほしいなあ、と。アシュラムの図書館は貸し出し禁止なので、子連れで長居が出来ないのであまり読めないんです。

きのうルッドラムの練習用のcdが外の店で売ってたので買いました。
前のプジャリさんの声のでした。かなりレアなCDなんじゃないかとおもいますけど。
日本ではもう練習ようのは発売されたんですよね?

ここでダウンロードしようかとも思ったのですけど、買って、送ってもらったほうが逆に手っ取り早いかな、と思って。
ほしい人が何人かいるので。
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【2008/11/23 20:04】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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