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知人へのメールのコピー(一部変更済み)
サイラムOOOさん。

返事が遅れてすみません。
私たちはここ数日バンガロールに行っていました。

差し歯のかけたのを何度かボンドでくっつけてごまかしてたのですが、クリスマスイブのプラサードをホールで食べてたらまた取れて、そのかけた歯って人相的に父親を表すらしく、ずっと気にはなってたのですが、今回取れた24日は父の誕生日でもあって、プラサード食べてる時に、ダルシャン中に取れるなんて、これはいよいよ治療(というか差し歯の作り直しかインプラント)したほうがいい促しだなと思い、ババも「明日バンガロールに直接行きなさい」とかいいはるものだから(?)クリスマス当日にもかかわらず、思い切って行きました。

結局、ホワイトフィールドのスーパーホスピタルでは歯の治療はしてないといわれ、ホワイトフィールドのジェネラルホスピタルは付添い人がいないと受付すらしてもらえないところだというのが行って初めてわかり、もちろん主名は付添い人にはならないので、なんもせずに2泊3日遊んで帰ってきました。

また、いい息抜きしちゃったな、という感じです。

買い物もいっぱいしてきて、これでしばらくはまたプッタで生きていく気力を養いました。

あの、バンガロールの霊感のアーユルヴェーダだかホメオのクリニックに私たちも行ってみました。
そしたら私は「疲れてるだけだな。」だんなは「覇気がないだけだな」で、治療の必要なしということで(すっごい笑いました)、主名はこの子は喘息じゃないから喘息患者として扱わないように、とかいわれて斬新な診断でした。
お医者さんが言うには水関係でお腹に問題がおきてて、そこから喘息やアレルギーも症状が出てきてる。
だからこの子は喘息患者じゃない、とのことでした。
録音したので、なんていってたかまた聞きなおして意味を調べなおしますけど、そんな診断でした。
薬は1200ルピー(一か月分)でした。

一ヵ月後にまたくるように言われ、面倒だなー、いかんとこかな、と思ったんですけど、その診察の時と出された薬を飲みだしてから、多分その原因を表面に出してるみたいに思いますけど、主名が前より頻繁にお腹を痛がってるので、(時々痛がってましたけど、単なる便意と思ってました。うんこをしたら治ってたので)
とりあえずまた行ってみるかな、と思ってます。
うちの母に言ったら、「その診断はあってるかもね」と、かいってました。
というのは、うちの弟の一人が小学生のときに大病をしててそれも普通みんなが持ってる菌かなんかがその子の体質で発病したらしく、それもお腹いたが最初の症状で、その弟も主名もほかの人の持ってるものを受けやすい性質だからとかいうことでした。

OOOちゃんもお元気ですか?
もう冬休みですね?

こちらも冬休みの日本人がちょこちょこ来られてます。
プッタはとにかく人が多いですね。。。!
ホワイトフィールドである意味平安&至福のときを過ごした後にプッタに帰ってくると「ああ、世俗の渦の中に帰ってきちゃったな」みたいに思います。おかしいですね。

母に電話でプッタパルティは聖なる場所やのに、とかいわれましたけど、「ちがうで、プッタパルティは苦行の宝庫らしいで」と答えました。

サイラム
古野SAWAKO

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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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