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(インドビザに関しての話です)

ビザは、こちらの旅行会社などで延長が半年までなら可能です。

なので、一年に一度はどちらにしろインド国外に出ます。

日本に帰ったときもありましたし、スリランカに行ったときもありました。

去年の3月から4月にかけてスリランカに行きましたが、そのときの航空運賃はわたしと主名の子供料金で、一ヶ月オープンかなんかで8000ルピーほどでした。

安かった印象があります。

しかし私たちの場合はなんどもインドビザばかり取ってて、しかもインド国内でビザ延長をしてたので印象が悪くて、当時スリランカでは3ヶ月しかもらえないことになってたのですが、私たちは面接を受けて、2ヶ月しかもらえませんでした。

(その後、別の人が行ったときは6ヶ月もらえてるので、また、情況が変わってると思います。私たちのときはまだテロの余波が濃厚でしたので。)

そのときは、しかし新しいビザになったので、その2ヶ月が終わるときにインドでさらに4ヶ月だけ延長して、降誕祭前に一度日本に帰って新しい半年ビザを取り直しました。

降誕祭前は警察のチェックも厳しくなるので、そのときは、新しい半年ビザに切り替えておいてよかったと思いました。

私が頼んでるOOOOOという旅行代理店では正確にはビザ延長ではなく、ビザが切れたあとにも滞在できる滞在許可証を警察に発行してもらう形です。(レジデンシャルパーミット)

なんかちょっと裏技的な気もしますが、一応それで問題ないです。

最初頼んだときは一人15000ルピーでしたけど、2回目以降はそれより安くなりました。
いつも、手持ちのビザが切れてから新しいのをくれるので、最初は不安でしたけど、2回目以降はこんなもんかと思って慣れました。

インドを出国するときに、イミグレとかの係員がそのレジデンシャルパーミットの存在を知らなくて「何これ、ビザはどこっ!?」なんてよくいわれますが、上の人は知ってるので、大丈夫です。

ただ、出国時に出国許可証をあらかじめ取っておく必要があって、(イグジットパーミット)それを忘れると飛行機に乗れません。

私はそれでいっぺん飛行機を逃しました。

イグジットパーミットも同じ旅行代理店で取れます。

別の代理店や、弁護士に頼んでる人もいると思います。

今度また4月の頭にビザが切れるので、次はネパールに行こうかなと漠然と思っています。

飛行機だと高いですが、プラシャンティニラヤムからカトマンドゥに一本でいける列車があるかもしれないので、まだ確認してないのですが、そういうのがあるなら、ネパールもいいな、と思って。2泊3日の列車の旅だそうです。

タイに行く人も時々いますね。

タイだとそんなに安くはないけど(日本への旅費の半額ほど)いい気分転換になりそうですね。

あと、モルジブだったと思いますけど、に行く人も時々いるみたいです。

ネパールの旅行代理店では、お金を出せば1年ビザとか、いろんなタイプのビザが取れると聞きました。

ネパールで裏技的に5年ビザを取ってた人もいましたが、半年に一度はインド国外に出る必要があるタイプのビザでした。
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【2009/02/20 01:21】 | インド長期滞在情報 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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