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マハシバ当日
今日はマハシバラトリです。
結局、インターナショナルバジャングループでの席はもらえなかったみたいなので、それぞれがまともに並んでホールに入ることになりました。

なので、うちらは昼間に入るのはあきらめて、朝、8時過ぎくらいにアシュラムに行って、ホールの外からダルシャンを受けました。
何回もルッドラムが繰り返し唱えられていました。

けっこうあっさり午前のダルシャンは終わりました。カレンダーも配られてたようですが、うちらは一人でたくさん甘いお菓子のプラサードを持ってるインド人に言って、私と主名の分をひとかけらずつおすそ分けしてもらいました。

その後、マハシバラトリのときに半プライベートでルッドラムを11回唱えるからと、数日前に誘われた場所に言ってみました。

いわれた場所に行ってみると、あるホテルの礼拝スペースでプージャが行われていました。
リンガムにアビシェーカムとかしてました。

私を誘ってくれた本人は来てなくて、私が行った時はプージャをする坊さん2人(親子)と、そのお父さんのほうの坊さんの奥さんと、ババの音楽大学の学生っぽい坊さん服みたいなのを着た2人と、ホテルの従業員と西洋人が一人でした。

後から、もう一人、普通の服を着た音楽大学の学生が来て、彼はおばあちゃん先生のとこで会ったことがあって、そのとき撮った写真を会ったときに渡そうと思って、1ヵ月くらい持ち歩いていたので、ついに渡せてよかったです。

プージャをしてた親子らしき坊さん2人がまるで親子喧嘩をしてるみたいにヴェーダを唱えあってたのが可笑しかったです。

プージャの後にはバジャンも歌われて、もしかして息子のほうの坊さんもババの音楽大学の卒業生かなんかなのか、タンバリンさばきが妙にうまかったです。

その後妙に歌のうまい西洋人夫婦と子供が来て、だんなさんと奥さんもバジャンをリードして歌いました。

その後、息子の坊さんがお供えの果物をカットしてその場で作ったフルーツポンチみたいなプラサードなどが配られました。
インド人はみんなそうみたいですけど、まな板を使わず手の上で全部カットされたどろどろしたフルーツポンチプラサードでしたので、もらうのにちょっと躊躇しましたがもらって、なぜかお代わりまでわたしの手に注がれて、たくさん食べました。
いろんなエキスが混じってそうでした。

その後ネパールへの列車の行き方を旅行会社で聞いて、その後ウエスタンで昼食を食べて、それからほとんど今まで、主名とその友達をあちこちでずーっと遊ばせてました。
さっき、この最高に混んでる日にサウスに行って一緒にご飯まで食べて。

プールナチャンドラホールは前に大きなスクリーンが設置されていて、サイクルワントホールに入りきらなかった人たちがそっちに座ってスクリーンでダルシャンを受けていました。

今日の午後のババは黄色のローブでした。

サイクルワントホールの正面に行くと、小さくですが、ちょうどディスコースをしているババがよく見えました。
ああ、充分。

今は夜8時半くらいですので、いっぺんアパートに帰って、少し寝て、11時半くらいにサイクルワントホールに行くつもりにしています。
インターナショナルバジャングループで歌う本番が夜中1時とかなので。

寝過ごさないようにしないといけないですね。

主名はネットカフェのソファですでに熟睡しています。

夜中にバジャンを歌いに行って、そのまま朝まで残るかどうするかはまだ決めてません。
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【2009/02/24 00:05】 | アシュラムの行事 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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