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マハシバラトリ
23日から24日にかけてマハシバラトリでした。

わたしたちは夜中の1時すぎくらいにインターナショナルバジャングループの出番だったので、12時くらいにホールに入りました。
集合が1時とかで、早めの12時50分くらいに集合だったのですが、行ったら12時過ぎでもう集合でした。

アカンダバジャンのときはバジャンホールの中で歌ったのですが、マハシバのときは、サイクルワントホールの階段状になってる中央ステージの前で歌いました。

なるほど、だからグループの人数が60人とかに増えても大丈夫なのか、とそのとき初めて合点がいきました。バジャンホールの中に入ったアカンダバジャンのときはせいぜい30~40人がリミットだったので。

集合時間が早まってたので、リーダーが来る前に並ばないといけなくて、バジャン指導のインド人女性がわたしに、みんなをあらかじめ決めておいた順番で、並んで座らせて、といってきたので、バジャングループでマハシバで歌うのは初めてで、どこでどういうふうに歌うか知らなかった私はどっちが前かもわからないし、よりによってこの英会話力ミニマムの私に言うか?と思って、ちょっと困りました。

なので、他の、何度もこのバジャングループでのマハシバを体験してる人に聞いて、「ここ一列目、ここ2列目、ここ3列目」と、みんなを座らせましたが、どっちが前かは最初、90度間違ってました(笑)あわあわあわ。

で、リーダーもそのうちに来て、歌う順番が来て、歌う場所にみんな座って、歌いました。

ステージ(テンプル)の天井に、以前ブッダ祭で日本全国の帰依者がつくった手まりの飾りがまた使われて飾られていました。
あれはほんとに美しいですよね。
ひとつひとつの惑星が集まった小宇宙のようです。

バジャンは、多分、朝から並んだ人たちは待ち時間に少し練習でもしたのか、フォロー(リードに続いて歌う人たち)もほとんど間違えずに、ちゃんと歌えてました。
練習の最後のほうの駆け込み参加が多かったので、けっこう、フォローの質が最後の最後で下がってたのですが。

しかし、楽しかったです。

前回のアカンダバジャンのときは最後列に座ったのですが、今回は最前列に座ったので歌いやすかったです。
それと、バジャンホールの中ではなくてステージの前だったので、私たちがリードして歌ったあとにサイクルワントホール全体からのフォローの歌声が返ってくるのがちゃんと聞こえたので、それが快感でした。

楽しい経験をさせてもらってありがとうございましたと思いました。

わたしたちは来たばっかりで元気いっぱいだったのですが、主名といっしょにサウスにお茶を飲みに行って、その後、主名のどうしてもという希望をくんで、朝までサイクルワントホールにいました。
私は、自分らの歌う番が終わったら部屋に帰って寝ようと言ってたのですが。
もちろん主名はじきに横になって熟睡。

子供は横になって寝てても怒られないからいいですね。
大人は怒られてました。
熟睡しすぎて起きない人はセバダルに水をかけられたり。

最初にシバラトリに参加した2年前は私も朝から並んで、夜も部屋に帰らずがんばってたので、むちゃくちゃしんどくて、ホールで横になって寝ずにおれない感覚はまだ覚えてます。

今回は昼寝せずに夜中に来ましたが、でも楽でした。座ったままうとうとしたり、知ってるバジャンになったら突然起きて歌ったりしてるうちに朝になって、ババが真っ赤なローブで登場するまですぐでした。
ババは車椅子で会場や外のほうまであちこち回ってました。

今回インターナショナルグループで教わったバジャンのうち、「ボーラーバンダーリーバーバー」もすごく好きですが、「シバシバシバシバ シルディプリーシュワラ シャンボーシャンカラ サンバシバー」というのがなんか民謡チックで面白くて好きで、ババが来てからは特にうまい歌い手がマイクを通して歌うので、その「シバシバシバシバ」を歌わないかなーと思ってたら、歌ってくれたので嬉しかったです。

まもなくアルティになってプラサードのご飯が配られました。

ババはまだずっと前に座ってて、プラサードが配られる様子を見守ってるようでしたので、わたしらもずっと立ってババを眺めてましたが、ババはみんなにプラサードがいきわたるのを待ってるのかなと思ったので、自分らも取りに行きました。

ほぼみんなにいきわたったのを見届けてから、ババは帰って行きました。

プラサードはいつものスパイスの効いた混ぜご飯みたいなやつと、ラドゥーでした。

楽しく、満足したマハシバラトリでした。
主名も楽しかったとか言っていました。

そう、アカンダバジャンのときは主名はバジャンホールに入れないので、外で待ってましたが、今回はみんなと一緒に座れたので、私もよかったです。

私は、グループでバジャンを歌ったあとに次のグループと入れ替わるときに、組んだ足の上にはずしておいておいた腕時計(手拍子を打つと自然に外れてしまうので先にはずしておきました)のことを忘れていて、立って移動してしまったのでなくしてしまいました。
ショッピングセンターで500ルピーもしたのに、、、と思いましたが、何かのカルマと一緒に腕時計もなくなったんだろうと思いました。

部屋に帰ったら目覚まし時計まで狂っていました。

持ち帰ったプラサードの残りを食べ、ミルクティーを入れて飲んで、風呂に入ってさっぱりしたあと、私も主名も寝なおしました。
たっぷり8時間寝ました。

起きたら夕食の時間でした。
ウエスタンで食べてきました。

今回は多少は疲労しましたが心地いい疲労感だけ残っています。

楽しかったです。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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