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マハシバ後
マハシバのあと、わたしたちは昼寝を8時間くらいしたりしてたので、時差ぼけみたいに夜寝れなくなるだろうと思ったのですが、夜も寝て、また次の日の昼間も5時間くらいねたりして、寝て、時差ぼけが解消したようです。
今はまた普通のリズムに戻りました。

アシュラムの中の人たちも少しずつ減ってきてますが、入れ替わりにどこかの地方のインド人の団体も来てます。

もうじき、今来てる日本人の男の子も去るので、今のうち、また、毎日主名と遊ばしてます。

ダルシャンでは毎日スピーチやら音楽プログラムやらやってるみたいですが、そういうわけで、あんまりちゃんと行ってません。
昨日はたぶん学生たちがババに向かっての訴えかけのようなスピーチをしてました。
ホワイトフィールドの学生でしょうか?ここの学生でしょうか?
よくわかりませんでしたけど、スピーチの中でなんどもなんども「アイラブユー」とか言ってました。
わー、そんなんよーゆわんわー。とか思いました。

だれかが、今年はババはコダイじゃなくてホワイトフィールドに長くいたいと考えてるらしいとか言ってましたけど、これもいつものことで、あてになりません。
去年も、ババは3日くらいだけホワイトフィールドにいて、あとはコダイに長くいると移動の直前までみんな考えてましたが、実際はババはコダイには行かず、ホワイトフィールドに2回行ったりしてましたから。

日に日に暑くなってきてます。
でもまだ許容範囲です。

そういえば、マハシバのために私の元ヴェーダの師匠のおばあちゃん先生が来てて、外の道でばったり出くわしました。

翌々日にチェンナイに帰るという話でしたので、昨日の午後のダルシャンの後におばあちゃん先生がホールから出てくるのを待って、おばあちゃん先生がプッタから引っ越したときに撮った写真を現像しておいたものを渡しました。

ほかにも弟子たちが集まってきてて、みんな、久しぶりにあえて嬉しそうでした。
一人のおばさんなんか泣き出さんばかりでした。
おばあちゃん先生のひざにくず折れてました。で、おばあちゃん先生の手をとって自分の頭に乗せて無理やり祝福してもらってました。

そのおばさんは、おばあちゃん先生にあげた写真の中から勝手に一枚奪ってました。
おおこの帰依心の強さよ。

でもみてたら、彼女とおばあちゃん先生の間にはほんとに魂の母と娘のような愛着があるんだなあと思いました。

おばあちゃん先生は心なしかふわっとゆるんで、なんか背も伸びた?とか思いました。
プッタに住んでたときはいつもきちっとした緊張感がありましたから。

おばあちゃん先生は私にサンキューサンキューとかいって、「リメンバーミー」と言ったので、
「シュアー、シュアー」と答えました。

半分まで教わったサラスワティースークタムの勉強は進んでるかと聞かれたので、最初に誰かに教えてもらってから勉強したいので。と答えました。
実際の細部の勉強はCDとかテープとかでほとんどしますけど、最初にエネルギーを通すような意味で、誰かに一回でも導いてもらってからじゃないとなんとなく、やる気が出ないので。

今日はもう、チェンナイに戻られたはずです。
おばあちゃん先生は年が年だけに、また会えたのでよかったです。
写真も渡せて、仕事がひとつ終わった感じがしました。



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【2009/02/27 18:00】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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