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3月26日の日記(バナラシ)
今朝はゲストハウスのルーフトップのレストランで朝昼兼用のご飯を食べました。
昨日は夜で何も見えなかったけど、朝になるとガンガーの雄大な広がりが美しく眼下に広がっていました。
ここのレストランからの眺めは素晴らしいです。

なので昼を過ぎてもずっとレストランにいました。

主名がそのうち出かけたいと騒ぎ出したので「魚でも見とき」と、水槽の魚を見せて、さらにしばらくレストランにいました。(魚好き)

前のホテルはエアコンなしの部屋に泊まったのですが、湿気がこもりやすく、室温も低かったので洗濯物が全然乾きませんでした。

なので、ためた洗濯物をここでいっきにランドリーサービスに出しましたが、プロのドーピーじゃなくて
、ホテルのおじさんが一生懸命洗って干してくれたみたいで、屋上の日当たりは抜群なのであっという間に乾いたのですが、ズボンのすそが汚れたままだったりでした。

それはいいとして(洗いなおしてもらいましたけど)、洗濯代が高いのに仰天しました。
サリーは大きいから30ルピー!ですって。
私の服は1枚20ルピーで主名のは1枚10ルピー。
しかもアイロンなし。というのは本来の仕事を別に持ってるアマチュアドーピーのおじさんだから。
プッタパルティじゃアイロンもしてくれてだいたいなんでも3ルピーですよ。

前の中級ホテルでもそれより少し安いくらいの値段でした。(アイロンつき)

プッタパルティがいかに何でも安いか実感しました。

しかしここのレストランの眺めのよさでなにもかもよしとします。

昼過ぎからはガートに出て、魚を見たり、主名をガンガーに3回ほど頭の先までつけたりしました。
(一応本人の希望による)
全てを清めるガンガーの懐に抱かれた主名。清まった?
(わたしは以前したから今回はパス)

そうそう、有名な火葬場にも行って一時間ほど火葬の様子を眺めてました。
次々遺体が運び込まれてガンガーに浸されてから順々に焼いていかれるそのエンドレスな光景にカルカッタのヤギ供養を思い起こされました。
何か、感傷とかで立ち止まってる時間を取ってないかんじで。

1体、2~3時間で焼くそうです。
女性は、故人の奥さんとかが火に飛び込んじゃったらいけないから来させないようにしてるとか。

男性が4~6人くらいで遺体を運び込んでましたが、中には立派なお腹をしたまだ若い30~40代くらいの男性の大きな遺体もあって、足場も悪いし、担ぎ手も重さにぐらぐらしてたので、落としたりしないか気が気じゃないケースもありました。

しかし、若い女性なんか特に生きてるときは細やかに化粧をしたり、顔の小さな部分をすごく気にしたり、してるわけですけど、焼くときは2時間でホカホカの黒こげで、最後は白い灰ですから、身体と自己の同一視って、幸せな錯覚だなあと改めて思わされました。

魚釣りをしてる男の子たちを主名は熱心に見てて、彼らのは簡単なしかけなんですけど大きいのを釣り上げてました。
で、自分も魚を捕まえたいと言い出したので「やってみ。あんたにつかまるほど魚は遅くないわ」と答えたのですが、じゃあ、遊びでやる、と、どこかから縄を持ってきて、男の子たちのまねをして縄を投げ、魚釣りごっこを熱心にしてました。

その後別の眺めのいいルーフトップのレストランで休憩して、ボートに乗ってガンガーの対岸に渡りました。
向こう側は不浄とされてるそうでガート(木浴場)どころか家もないのですが、砂地が広がってて、人もほとんど来ないし、水が澄んでてきれいでした。

そこで主名とボートのこぎ手の弟2人はしばらく砂遊びやプージャごっこなどして遊び、チャイを皆で飲んで(小さい掘っ立て小屋のチャイ屋はありました)メインガートにわたりました。
いちおう最初の約束の80ルピーを渡しました。(貸切としては安すぎかもしれません)

メインガートから泊まってるゲストハウスの最寄のガートであるラリタガートまで、ガート伝いに歩いて帰りました。

夜のメインガートのプージャを見るためにもボートを予約してあったので、その約束の時間の5時に部屋に戻ったのですが、約束の時間になっても誰も来ないので、フレンチフライでちょっとお腹を満たしてからボートを頼みなおしてプージャを見に行きました。(こっちは1時間150ルピー)

すごく沢山のボートがそれぞれ観光客を乗せてプージャを見に来てました。
こういう薄暗い中の光がきらめくシーンはデジカメで撮るといいんだけどなあと思いましたが、今回はデジカメは持ってきてません。

メインガートでは7人のプジャリ?が、横に並んで、それぞれの台の上でいっせいに同じ動きでプージャをしてました。
河の上もガートの上も人で一杯でした。

ここのプージャで掲げる火は大きいので、腕力いるだろうな、と思いました。
しばらく見た後、切りのいいとこで帰りました。
私達もささやかに皿に乗せた花と明かりをガンガーにささげました。
しかし明かりをつけるためにすったマッチの燃えカスもガンガーへポイ。

何もかもを飲み込んで流れてゆくガンガーでした。
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【2009/03/27 00:37】 | ネパールビザ取り旅行2009の日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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コメント
ご無沙汰です、いや横浜にいたはるんかと思い
ちょっと探してみたら。。インドですか(笑)
インドもいいですね、わたくしもココ3年ほど
神戸でアンマの来日のボランテイアスタッフとか
やってます。
【2009/03/27 12:36】 URL | ぴーちゃん #-[ 編集]
こんにちは。たしか鉾神社だったか鋒神社だったかにご一緒したぴーちゃんさんですよね?
おげんきそうでなによりです。

アンマは最近は神戸にも来られるようになったんですね。
すばらしいですね。
ああゆうビッグな聖者にだれでも自分がその気になれば地元神戸にいながらにして会いにいけるなんてすばらしいと思います。

ほんとかどうか、わかりませんが、だれかがアンマの過去生のひとつは昔いた、インド女性聖者のアーナンダマイマーだなんて言ってましたが、いま私たちが滞在してるバナラシにもアーナンダマイマーのアシュラムと、その名前がついた沐浴場があって、今日はなんとはなしにアンマのことを考えてたりもしました。
【2009/03/28 00:02】 URL | 古野SAWAKO #-[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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