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4月16日の日記(カトマンズ~ポカラ)
朝7時発のツーリストバスでポカラに移動しました。

チケットは泊まってたゲストハウスで買いましたが、そこの旅行関係の手配するひとがゲストハウスのマネージャーで、せかせかしてて疲れそうとか思って多少敬遠してたのですが、めんどうなのでゲストハウスでバスのチケットを手配しました。

一人500(600~700円くらい?)ルピーの、最低クラスではないけどその上のクラスが18ドルなので、高くもないバスです。

そしたらそのマネージャーは私の財布のババのキーホルダーに目をとめ、奥さんと一緒にプッタパルティにダルシャンを受けに行ったことがあるとかいう話しをしました。シルディサイのカードのカレンダーも飾ってありました。

もらったバスチケットには「ババアドベンチャー」とありました。
できすぎちゃう?と思いました。

12日ほどこのゲストハウスには泊まりましたけど、そういうこと、最後まで、知らんかったなあと思いました。

そこで紹介されたポカラの宿は日本人になんか評判がよくないところだったしガイドブックに書いてある料金よりだいぶ高かったので、ポカラの宿は自分で探すことにしました。

ゲストハウスからバスの発着所に行くとき拾ったタクシーに乗ったときには「マーナサバジャレーグルチャラナム」のバジャン(ババがサイババ宣言後にはじめて人に教えたバジャン、でしたっけ)がかかってて、その後アルティとともにバス発着所に行きました。
できすぎ。

バスの発着所で封のあいたチョコバーを安くで買ってしまい、私があきらめるまでしばらく隠れてた後で姿を現した売った人に文句を言っても「自分は売ってない」というので、そんなの食べるのもしゃくなので、それはその人の前に捨てました。
ちょっと気分を害しての出発でした。

主名が自分のウエハースをあげるとかいって慰めてくれようとしましたけどそんなの食べたくないので断りました。

結婚式帰りみたいな飾った車が通ったので主名と結婚の話になり、主名に結婚したいか聞いたら
「したい」というので「なんで?」と聞いたら、「だって、おとうさんになりたいの。。。」とか言っていました。
いろんな子供がいるもんです。

私も主名も道中はよく寝てたので車酔いはしませんでした。

おなかがすいたので最初のお茶休憩のところでダルバートを食べ、本来の昼食休憩のところではアイスクリームとか食べました。

ポカラに着いてバスを降りると客引きがたくさんむらがってきました。
こういうのは久しぶりだったので「あ、ひさしぶり」と思いました。
10数年前はレイクサイドエリアに泊まったので、今回はダムサイドエリアに泊まろうと思ってて、泊まるところも決めてて歩いていこうと思ってたのですが、雲行きが怪しくなってきて一雨きそうだったので、雨の中を歩くのはいやなので、客引きの車でとりあえずレイクサイドのホテルに行きました。

そこはカトマンズのゲストハウスで紹介されて断ったホテルのオーナーの兄弟がやってるホテルでした。。。建て方がまるで同じ。
まあでもきれいで問題は特になかったので泊まりました。
案の定、ついてお茶を飲んで休憩してるうちに強風とスコールになりました。

そのホテル、レイクサイドの南のほうに今は泊まってます。

今日(18日)は部屋の窓からでもヒマラヤがよく見えました。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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