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4月17日の日記
ポカラに泊まった最初の晩はババの夢を見ました。
なかなか恩寵に満ちた後味の甘い夢でした。
しかし、ポイントポイントできっちり出てきてくれると思いました。

前日、泊まったホテルでポカラの一日観光をすすめられ、いくらか聞いたらたしか4500ルピーとかそういうふうにいわれたので、そんなバカ高いのは無理だし、ガイドブックにはサランコットの丘とほか数箇所の半日観光で1000ルピーとかいてる言うと、ほかの宿泊客と一緒でいいなら一日で1500ルピーといわれ、サランコットにはどっち道行こうと思っていたので、ほかの客はうちらが加わってもいいのかとゲストハウスの人に聞いたら大丈夫だと言ったので、ツアー参加を了承しました。


なのでこの日は朝5時に起こしてもらい、日の出を見に行きました。
しかしほかの客は3人のロシア人で、私たちの事は聞いてなさそうで、なんか感じがよくなかったのですが、一緒に行動してるうちになじむだろうと思って、あえて気にせず車に乗りました。

サランコットに登って日の出を見ました。
本来はヒマラヤをパノラマで見れる展望台なのですが、この日ももやがかかってて、三角にとがったマチャプチャレが見えたくらいでした。

でも、山とわかるのをはっきり見たということで、一応私と主名は満足しました。

その後ビンドゥバシニテンプルに行きました。ドゥルガーが主の寺だそうです。
お参りして額に赤い色つきの米をくっつけてもらいました。

ロシア人たちは2人は英語を話さないみたいで、若い男性が通訳していましたが、サランコットの後にすぐにホテルに戻って朝食と聞いてたらしく、予定と違うと少し怒っていました。

その後は白い水の流れる川に行きました。
ロシア人たちはみんな大人なので先に岩だらけの川原を歩いていきましたが、私たちは主名がいるので、ドライバーに手伝ってもらいながら行きました。

若いロシア人男性が向こうまで行って戻ってきたときにはこけて頬と額の横のところを怪我していました。
たぶん、私たちの存在とかネパール人のやり方とかに頭にきてたので足元が見えなくなってたんだと思います。

いちどホテルに戻り、朝食を食べました。

その後、もうひとつの展望のきく、日本の寺がある山の上に行く予定だったみたいですが、ロシア人たちがゴルカミュージアムに最初に行くといったので、そっちを先にしました。
ゴルカとは優秀なネパール兵の代名詞として知られる町の名前です。

ホテルの責任者はゴルカミュージアムは今日は休みだとかうそをついたり反対の方向だとか理由をいろいろ言って行くのを思いとどまらせようとしていたようですが、ロシア人が出発後にドライバーにゴルカミュージアムに行くように要求して出発後に行き先を変えて行ったのですが、開いてました。
ロシア人たちはニコニコでした。

彼らは何か思い入れがあったのかもしれませんが、私らはそういう軍の歴史みたいなのに興味がなかったので、ロシア人たちがミュージアムに行ってる間にドライバーはすぐ近くの発電施設のある川とか、チベット寺とかに連れて行ってくれました。

チベット寺では坊さんたちが何か唱えていて、それが今まで聞いたことがないバイブレーションのもので、これを書きながらもよみがえって寒気がしてるのですが、すばらしかったです。
女の坊さんたちとおじさんの坊さんたちが向かい合って座って並んで唱えていましたが、声の音そのものが独立した生き物のように自在に踊り、共鳴し、ふと止まったかと思うとまた天から湧いてくるようなとても不思議なものでした。

お参りしたらあめちゃんをくれました。

その後そこらへんの茶店でお茶を飲みながらロシア人たちが出てくるのを待ちました。
こういう時間が観光の時間よりも本当はとても楽しいというか、ほぐれて幸せ感があります。
おばさんがまっくろな中華なべみたいなので野菜炒めを作っていて、ドライバーは、ホテルのご飯よりこういうのが一番おいしいんだよ、とか言っていました。
ほんと、おいしそうでした。

その後は国際山岳博物館に行きました。
私は山登りにも特に興味がないのですが、でもここは観光スポットらしく、広い敷地に立派な建物が建っていました。

ロシア人たちはこの日の夕方からトレッキングに行くらしく、ここに来て、敷地内に山のモニュメントがあるのを見て歓声を上げて、よじ登っていました。

ドライバーが先に建物の中を見ようといったので、わたしらはロシア人と別行動をして先に建物の中を見学しました。

特に深い興味もないのですが適当に見て回りました。
登山家の装備とか、イエティ(雪男)の人形とか、動植物や山の写真などありました。
最後の方で、野口さんという登山家がヒマラヤに残された登山で出たごみ(酸素ボンベなど)を回収する活動をしてる紹介のコーナーがあって、野口さんて確かハーフだったんじゃなかったかと思いますが、それまで山頂を征服した記録などが続いてた後のこの展示だったこともあり、こりゃ、日本人がネパールですごく好かれるわけだよなあ、と思い、なんとなく感動しました。

外に出て、山のモニュメントにうちらも登ってみました。(横についてる階段で)
ロシア人ほどはのぼれないのぼれない。

その後別の、ロッククライミングの練習用みたいなモニュメント?のところにも行きましたがそこは見るだけにして、座って休みました。(もちろん、ロシア人たちは登っていました)

その後入り口に帰って車の中で待とうかと思いましたが暑すぎたので、チケット売り場の前の日陰で休みました。

そしたらチケット売り場のお姉さんが暇だったこともあってか出てきて、楽しくいろいろしゃべりました。
日本に行きたいそうで、もし呼べるなら呼んで(日本に)とか言ってました。
うちらはいつ日本に行くかわからないこともしゃべったので半分冗談ですけど半分本気でした。
何をしゃべったかは忘れましたけどいっぱい笑いました。

その後、デビズフォールという奇観の滝を見に行き、近くの洞窟の中からその滝をうらから見ました。
ドライバーがずっと主名を助けてくれたので助かりました。
洞窟の中には芝のお寺もありましたが、「牛小屋」と称するトンネルの中の牛の人形はちょっと意味不明でした。

その後、日本山妙法寺のある山に登りました。
車が途中までしかいけなかったので途中からは歩いて登りました。汗だくになりました。
よくまあこんなとこに寺を建てるなあ、と。
山の上からの湖の眺めはいいものでした。

また車まで歩いて降りました。

帰り道、悪路を走った車はタイヤがパンクしたので10分ほど泊まりましたが、ドライバーは手際よくタイヤ交換したので、あわててお茶を飲み干しました。
そこの茶店の人たちもすごく友好的で、日本人て、ほんと好かれてるんだなあと思いました。
お茶を飲むまで5分待ってとドライバーに言えばいいのにといわれましたが、あのロシア人たちが一時間後にトレッキングに出発するから時間がないことを茶店のほかの客に言うと、ロシア人は英語をぜんぜん話さないだろ?みたいに言われました。
2人は話さないけど1人が話すので通訳してると答えました。
英語に関してはわたしもよく「通訳つれて来い」といわれたので、人のことはぜんぜん言えません。。。

しかし、結局ロシア人たちとはなんとなく険悪なままでした。
ホテルのやり方というか、ネパール人のやり方も問題があったと思います。
わたしもそんなに友好的なほうじゃないのであえてした手に出なかったのですが。
こっちを見もしませんでした。もしかしたら最初のうちは、彼らはネパール人のドライバーが自分の家族を無断で乗せてるくらいに思ってたかもしれません。

多分ホテルに苦情を言って、多少ツアー料金を負けてもらってたように思います。
3人で2500ルピーだけ払ってましたから。
わたしなんか普通の席があいてるのにずっと補助席に座らされ(ロシア人が一人で長いすひとつとかに座ってたので)、乗りごごちが悪かったのですが、あ、これは、ルンビニからカトマンズに行くときの車でわたしがネパール人の子供がうちらの席に侵入してきた状況の逆パターンの体験が来てると思ったので、なにも苦情は言いませんでした。
あの時、近いうちに逆の立場に置かされると思ってたので。
ロシア人のいやーな気持ちはわかりましたけど、うちらもホテルにそれでほんとにいいのか確認した上でその車に乗ったので、あとはホテルの人の問題。

その一日ツアーの後、ロシア人たちはフロントに預けてあった荷造り済みのバックパックを受け取って、すぐに歩いてトレッキングに出発しました。
まもなく、すごい風と豪雨になりました。。。

若い男性がほかの二人を案内してたみたいで、責任者みたいにしてたので、気の毒。と思いました。

スコールが収まってから散歩に出かけました。
湖の平らかな水面はそれを目にするだけで同じ静かな気持ちにさせてくれます。
胸が「シーン。。。。。」となります。

ポカラにくるのも面倒だったけど、きてよかったなあ、と思いました。

湖に張り出した展望台のような場所で夕日が沈みきるまで微妙なグラデーションの景色を眺めていました。
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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