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5月1日の日記
前日、自分の名前で主名の学校入学の手紙を書いてみようと思い、書いたのを持参しました。

この日は祝日なので人が多かったです。
私たちは屋根のないところに座りました。

お皿に辛いご飯と甘いご飯のプラサードが配られました。

主名にスロープを降りてくるババに手紙を渡させようとしましたが「まてまて」というしぐさで制されました。

ババはしたの広場のほうに行ってから男性側から上に戻ってきました。

どさくさにまぎれて最前列に座ったので、また手紙を渡そうとしましたが、反応なしで通り過ぎていきました。

この手紙はだめだな、と思い、午後は主名に自分の名前で書かせた手紙を持たせました。

この日はほかの人が主名を預かっててくれて、私はバジャンホールの中に入れてもらえました。

学生のスピーチが4時半から始まる予定でしたがババは5時20分にバジャンホールの中に入ってきました。

イギリスから来たというたぶんインド人の話の後に学生が2人話をしました。
最初の学生はババの意思なしにはささいなことも何事も動かないというようなことを話してたように思います。

次の学生は、学生時代に体験したババマザーサイとのかかわりを話したりしていました。

話の後に話をした2人を含む学生たちは「ハムコトゥムセー」の歌を歌いました。

学生たちに囲まれたババの顔がくしゃくしゃになったので、どうしたかと思ったら泣いていました。
そんなにくしゃくしゃになって泣くババを見たのは初めてだったので少し驚きました。
この歌でババは泣くとは聞いていましたがこれほどまでとは。。。
顔をくしゃくしゃにして涙を流して嗚咽してるようでした。

学生も泣いて、ホールの中の人たちももらい泣きをしてて、私ももらい泣きをしました。

最後、ババが「アルティ」と言って、アルティの指示を出したのも聞こえました。
初めて生身のババがいるときにバジャンホールの中に入りましたが、すばらしかったです。

主名は手紙は渡せなかったそうですが、付き添ってくれた人はババにビブーティーを祝福してもらい、手に触れてもらったそうです。
長時間預かってもらってありがたかったです。

私の悪かった体調は回復しました。
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【2009/05/02 16:02】 | コダイカナル | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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