スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
プライマリースクール
今日の夕方にもプライマリースクールに行ってきました。

昨日とは打って変わって、門も難なく通過しました。
最初は学校で校長が帰ってくるのを待つのもだめといわれ、門の外で祈れといわれたのですが、同行してもらった人が肩書きがあったので学校のロビーでしばらく待たせてもらえました。そしたら知人の先生がバジャンから帰ってきて、その後校長先生も帰ってきて、昨日届けた手紙にも目を通してもらえてたようで、話をすることができました。

でももう、ぜんぜんだめでした。
誰かほかの子と間違えてるのか、朝、この子はバジャンで何とかかんとかで、英語がぜんぜんしゃべれないでしょ、とかいわれました。
今朝はバジャンには行ってないので、人違いと思うんですけど、訂正するまもなく、でもまあ、どっちにしろその場で話をしてどうこうできるような感じでもありませんでした。

私たちのほかにも嘆願者が来てました。多分、そういう嘆願者がたくさんいるんでしょうね?
はなから嘆願者になじまないようにしてる感じでした。
でも、今まで校長が誰かも知らなかったので、低レベルなんですけど、話をしたというのは大きな一歩だったりします。
後から思えば、手紙にもう少しこちらの情報を書いておいても良かったかもと思いました。
主名が勉強とヴェーダが、どの程度できるかとか。
多分、ぜんぜん訓練されてない子供をつれてきてると思われたみたいで、書いたりとかもぜんぜんできないとはなから決めてたような感じでした。
実際は、学校は去年の8月くらいまでしか行ってませんが、一年半くらいは行ったので、数字もアルファベットもかけるし、数字のつづり(1ーONE,とかで100までとか)や、曜日のつづり、月のつづりとか、体の部位のつづり、九九の暗唱など、できることもけっこうあるのですが。
この子は幼すぎるからなにもできないとか。年齢的には今年入学が適正年齢なんですけれど。幼く見えたようでした。
寮生活への準備として、インドの辛いのもだいぶ食べれるようになったし、インド式トイレも練習して、一人で全く問題なくなったし、歯磨きも風呂も全部自分でできるように練習したのですが。
喘息も最近はほとんどでなくなりました。出ても一回くらい薬を飲めばおさまります。
おねしょも、今は暑いからかもしれませんが、ほとんどしていません。

英語もぜんぜんだめでしょ、といわれたので、「(主名に)話しかけてくみてださい」と言ってみましたが、主名も恥ずかしがって黙って後ろにいるし、校長先生も話しかけたりはしませんでした。
主名の友達で、今回入学がほぼ決定したR君なんかは、じぶんがどんだけすごいかとか、何ができるとか、そういうのをどんどんしゃべるタイプなのですが、インドでは、というか、日本以外ではそういうほうがいいんでしょうね。。。

ヴェーダはいちおう主名の売りなので、校長が去った後に、あ、ヴェーダ聞いてもらってなかった、と思い、まだそこにいた知人の先生に「聞くだけ聞いてやってくれませんか?たくさん練習してきてるので」と言いましたが、「何も助けられないわよ」みたいに言われ、私としては、今日もずっと部屋で練習させたし、入学どうのはべつとしてもせめて聞くだけでも聞いてもらえればありがたき幸せ、と思ったんで、唱えてみ、と、主名に唱えさせましたが、すぐに「シャーンティシャーンティ」と、打ち切らせようとされました。でもまあ、「イナフイナフ」などと言われてもそのまま唱えさせてたんですけど、(なんせ、たくさん練習してたので、主名は自分が言えるやつを全部言うつもりでしたから)いったん出て行った校長がまた帰ってきて、また、やめさせられようとしました。
でもまだ唱え続けてましたが、しまいに止められました。

主名はりちぎにガナパティプラールタナからはじめて、ニグルシュワイラ、オームタッブラムハー、ナカルマナ、などとと唱えていったので、ドゥルガースークタム、ナラヤナウパニシャッド、ルッドラムなどまでにはいきつかずに止められてしまいました。
よく練習したんだけどなあ。
校長先生に聞いてもらうということで練習して、大きな声で言えるようになったし。
まあ、いつか、別の機会があるんだろうと思います。
聞いてもらえるような受容的な場でもなかったですし。
迷惑がられて唱えてもヴェーダにも失礼かと。

先生方がやめさせようとする中、両手を合わせて淡々と唱える主名はなんだか哀れにも思えましたが、その後、本人はけろっとしたものでした。
ほんとに、無心に唱えてたようで。
私だったら確実に悲しくなってたと思います。

インドはほんと、下から行ってもだめですね。上から、いかないと。
今回肩書きのある人と一緒に行ったおかげでロビーで待たせてもらって、帰ってきた校長先生と会うことはできましたが、下のものとして、まったく取り合ってもらえない感じでした。

まあ、でも私も今までいろんな場面で拒絶されたりたたかれたりたくさんしてきたので、基本的に拒絶された場合に自分が傷つかないためのだめもと精神がしみついてて、わたしも、あっ、そ、そうですよね、だめですよね、わかってますわかってます。というかんじで、がっかりするほどでもなかったのですが、今回は知人3人が直接的に、そして間接的にも多分たくさんの人が応援してかかわってくれたので、私はすごく気が楽で、迷惑千万かもしれませんが、みんなに支えてもらえて楽しいくらいでした。
でも他の人たちは多分、主名の学校の件に直接かかわってくれたのは初めてとかだったので、私たち以上にがっかりしてくれてて、私たちにも慰めの気持ちを持ってくれてるみたいでした。
ありがたいことです。

実際は、今まで主名とわたしがインドに来てからはこの3年(主名が生まれてからは5年)の間に孤独さを噛みしめつつ流した涙は数知れず、なので、ああ、なんだか、わたくしごとなのに、他の人にこうして支えてもらい、かかわってもらえるようになったなんて、なんだか、私たちのある種のネガティブなカルマも尽きたのかなと思います。

もちろん今までもいろんな人に助けてもらいながらこうしてきてるのですが、なんだか、やっぱり、この時期からは何か開いたような感じもあります。
他の人にかかわってもらえるというのは、それがどういう結果になろうとも、支えて助けてもらったという事実だけでうれしいものですね。

まあ、なるようになると思うので、いましばらく、トークンにもなるべく参加して、機会を得るべく行動し続けようと思います。
今は自分からことを起こす気が、何事に対しても起きなくて、ただ、やるべきことをやってる感じです。
主名が別にババの学校に行っても行かなくてもいいんですけど、行く可能性が高いような気もするので、そのように行動してるところです。

自分としては、主名の自立度が高まるに連れて、一緒に暮らすのがすでに気分的に限界が来てると思うことがしょっちゅうなので、全寮制の学校に入るのはお互いに逆にいい関係になると思ったりもしますが、なんせ、結局はよくわかりません。

主名の友達の外国人のRくんは別個にテストを受けられるようになったので、主名にもその機会を与えてもらいたかったのですが、Rくんはお兄ちゃんがもう学校に入ってるので、そのリレーションシップがあるからとも言われました。
とりあえずなんでも言ってみようと思い、Rくんと主名はすごくいい友達なんですけど、と言ってみましたが、もちろん問題外。実際、赤ちゃんのときからの友達で、Rくんのほうが1歳年上なので、Rくんのおかあさんは、Rくんに、一緒にスワミの学校に入ったらあなたが主名を助けるのよ、なんて言い聞かせてくれてたりもしてました。

昨日とは違って、今回は、帰りもアシュラムへの通用門(スタッフ用)がすんなり通れたりと、なんだか開かれてる日でした。

近所のインド占星術にでも行ってみようかな?新たな視点が得られるかも。
関連記事
スポンサーサイト
【2009/05/20 02:00】 | サイババの学校 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<今朝 | ホーム | プライマリースクールの入試>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/823-ef5b95f0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。