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休日
今日は平日ですが、朝は早くにはダルシャンに行かずに、ちょっと、休日にしました。
それでも主名を起こして、9時前にサウスに朝食を食べに行き、バジャンに行きました。

今朝はババは来ませんでした。

今日はわたしはちゃんと睡眠時間をとったので、頭がたぶん普通です。

バジャンの後、主名のCDを持参して、以前会いに行くように言われた人のうちの一人のオフィスに行ってみました。

入ってみると主名のインド人の友達のお兄ちゃん(プライマリースクールの学生)と、そのお父さんがそこで働いていました。

主名のともだち(最初の学校でのクラスメート)は、去年試験を受けたけど、ババの学校に入れなくて、今年再挑戦したんだと思います。
そろそろ合格発表の時期と思いますが、今年はみんなどうだったんでしょうね?
音楽教室に来てる母子も、娘が受験したそうで、無理とは分かってますが、みんな受かるといいね、と思います。
去年は知り合いの子供たちはほとんど全滅だったので、それには結構びっくりしました。

というのは、親がスタッフとか、アシュラム住人とかそういう子は受かると聞いてたのですがみんなだめで、そうでない子もかしこくていい子供たちも、みんなだめだったので、選ぶ基準というのはやはり、何かそれ以外のものもあるに違いないと思いました。
あと、入る時期も。
主名の去年だめだったインド人の友達も今年は入るかもしれませんし。

目当ての人は今日の午前は帰ってこないといわれたので、今日の午後のバジャン後か、明日の朝のバジャン後にでも出直そうかと思います。

重要人物に会うことに関してはまったく期待してないんですけど、ま、何か動いてみるというのは悪いことでもないので。

今年はもう2,3人の外国籍の子供たちが入学するみたいですし。

主名がまださらに1年か2年入学に猶予があるなら、もう少しちゃんとヴェーダを教えようかとも思います。
なんせ、去年8月くらいから学校に行かせるのをやめて、家で勉強をさせるのも私じゃ無理があるので、それで、勉強よりかはむしろヴェーダを教えだしたのでした。
勉強も、また6月からも家にいるなら何か考える必要がありますが、ほんとに、外国人はそんなにやりすぎる必要はないというのはよく分かりました。
というのは、今年入学が確定という話のRくんの勉強の状態をみてだいたいわかりましたから。
なん人かにも、「教えるのは、ほんの少~しでいいんだから」と言われてましたが、でも、インド人の子供らの状態(入学時にすでに高い学力)を見てたら、同じ年齢の子供なんだし、やれるだけはやったほうがいいんじゃないのかなあ?と思ってました。
でも少しはやる必要があります。

朝はすごく涼しかったですが、昼になるとさすがに暑くなってきました。
ババは、動かないですね?ホワイトフィールド行きはキャンセルされたのでしょうか?
動いたとしても3日、長くても7日という話ですが。
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【2009/05/28 18:16】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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