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パダナマスカール
おととい、夕方雨が激しく降ったので、その雨がやんでから主名と私はバジャンに行きました。

行ったらマンゴーのプラサードが配られてるみたいで、あー、のがしちゃったかな?とおもいつつ、女性側のゲートのほうに行ったら、途中、男性と女性の間のゲート(ババが車で外に行くときに通るゲート)が開いてて、なんか一般人が中に入れてもらってるみたいだったので、そこにいたセバダルに「入っていいんですか?」と聞いたら、
「入って入って!」と言ったので入りました。

なかでは男女別に座らされてて、マンゴーを配ってたのでもらいました。
わーラッキー。と思い、マンゴーだけもらって帰る人も大勢居ましたが、わたしらは「わー、こんなとこに入ったのはじめてー、」と思いつつ、そこにそのまま座ってダルシャンを受けました。

その通路とホールの間の門も開け放たれてて、ババをさえぎるものなしに真正面で見れました。
「なんか、ババへの扉が開かれた」って感じだなーと思いました。

ババはいったんバジャンホールの中に入ったので、その時点でもいくらかの人は帰っていきました。
私らはせっかく正面にババを見れる位置だからと思ってそこに座ってました。

その時点でそこに座らされてたのは男女各30人ずつ位だったでしょうか。

再びババが出てきて、そしたら学生が急に立って位置替えをしだして、私らの座ってる場所に向かって通路を作りました。

まさかねー、とおもいつつ、まさか?と、横の人たちと顔を見合わせました。

そして、ババが壇上から降りてきて、学生の作った通路を通り、まっすぐ私たちのほうに向かってきました。

学生が途切れたら引き返すかな?と思ったのですが、ババはそのまま私ら一般人男女の間を車椅子で通りました。

主名とわたしは男女の間の通路沿いに座ってたので、ババが通るときにはそこが一列目となり、狭い通路だったのでぎりぎりをババの車椅子が通り、余裕で、主名が先に、次に私も両手で両足にきちんと完璧なパダナマスカールをすることが出来ました。

感無量!

ババの肉体は、ちゃんと肉体で、足の甲はぶよっとしていました。
おばあちゃん先生の足もぶよっとしてたので、似てるなあ、と思いました。
二人とももう、老齢だからでしょうか?

初めてプッタパルティに来た14年前から今まで一度もパダナマスカールをしたことがなくて、もう、一生しないのかと思ってたので、できて、驚きでいっぱいでした。

私たちの隣に座ってたのは、うちのアパートの近くのドーサとかの軽食を売ってる顔見知りのおばちゃんで、おばちゃんと、喜び合いました。

ババはゲートの端まで行き(その時にはゲートはすでに閉められていたので、鉄のゲートの向こうは黒山の人だかり)そこでしばらくいてから、また同じ、男女の間の通路を戻ってきました。

わ、また戻ってくる!と思い、こんなチャンスはめったにないので、何かしなくちゃと思い、主名の学校のことはすでに夢で言われていたので、主名に祝福をもらおうと思いました。

というのは、子供づれの場合、子供の頭にババに手を置いてもらって祝福してもらうことがよくあるからです。

ババが前に来た時、「彼(主名)に祝福を与えてください」と、ババに話しかけてみました。
そしたらババは「エイッ」だか「へイッ」だかいって、その後なにかごにょごにょ、と言いましたがそれは聞き取れませんでした。

わ、怒られた!、と思い、パダナマスカールの高揚した気分が一瞬消えてものすごい素になりましたが、そのあとまたじわーっと嬉しくなってきました。
「ババに怒られちゃった♪」
「しゃべったやん?」
私は今まで生身同士でババとしゃべったこともなかったので、すごいっ!と思いました。
なので気分はきゃぴきゃぴな感じになりました。

それと、怒られた意味もすぐに分かる気がしました。
まだそんな、余計なことをいうか、と。
まだ、自分の責任でどうこうしようとしてるのか?と。
なので、。すっきりさっぱりした気分になりました。

ゲートの門番をしてたセバダルも、、ババが去った後にぞろぞろ出て行くときに「いいダルシャンだったね、よかったね、」とか言ってくれました。

まったく、この出来事は信じられない展開でした。

後日談ですが、ババに怒られてすごい嬉しかった話を他の人にしたら、男性は、みんな、「怒られた」ということに気持ちが向くみたいで、あらららら、、、という顔をされたり、気の毒に思ったようで「でも、パダナマスカールだけでももう十分な祝福ですからね、、、」みたいに慰めの言葉を言いました。

ところが女性はみんな、「きゃー、すごい~!」と、一様にそんな反応で、「会話の内容じゃないのよねー!!(話したという事実が大事)」とか、「私も同じで、スワミにお願いしようとにじり寄って迫ったらすごい顔をしかめられてすっごい嫌がられたの!その時、きゃーっ!スワミがこの私を見てる~!!!反応してる!!!って、すごい最高な気分だった!(大爆笑)」とか、そういう大盛り上がりな反応でした(笑)

なんか、男性と女性って、男性と女性というだけで感じ方が違うんだなあ、と、面白かったです。

パダナマスカールの喜びは、いつまでも消えません。
なんだかすごく手ごたえのある安心感が与えられた気がします。

すばらしいプレゼントでした。
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【2009/06/07 00:36】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) |
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コメント
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【2009/06/08 03:45】 | #[ 編集]
オームサイラム、「ひ」さん、コメントありがとうございます。

そのときの様子が載ってるサイトを教えていただきました。
http://www.saibabaofindia.com/sai_baba_latest_darshan_news_photos_updates.htm
(リンクできてないかもしれないので、コメントのURLの項目にも同じアドレスを貼り付けておきました。)

6月5日の記事です。

記事にあった、ゴーピーみたいな女性って、ああ、彼女のことだなー、いたいた、と思いました。
【2009/06/09 00:39】 URL | 古野SAWAKO #-[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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