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最近
最近はババは長い時間前に座っててくれるので、いいですね。毎日1時間とか、もっととか。

気候も涼しくて、すごしやすいです。

今朝はババは来ませんでした。

昼、サウスで食べてたらおばあちゃん先生が来たので食べながら色々おしゃべりしました。
チェンナイでは娘たちに「完全に休養するよう」といわれて、今は音楽すら教えることもしてないそうで、そもそも教えようにもヴェーダはチェンナイのおばあちゃん先生の周囲では誰も興味ないし、まったく知らないそうです。明日の早朝にもうチェンナイに戻るそうですが、もっとプッタパルティにいたいんだろうなと思いました。

もっと、一週間とかいればいいのにと思いますが、お世話をする娘や孫の都合もあって、そんな長くは、いれないんだろうと思います。

おばあちゃん先生がチェンナイに去ってから何度かこっちに来て会いましたが、いつも、これが、おばあちゃん先生に会う最後になるかも」と思ってお別れの挨拶をします。

昨日ばったりあった時は思わず手を取り合って再会を喜び合い、近況を報告し合いましたが、おばあちゃん先生はいつも「わたしを覚えていて」と言います。
忘れれるわけもないので、「もちろんですとも」なんて答えてます。

でもおばあちゃん先生はまたちょくちょく来ると思います。

今回は、おばあちゃん先生の一番弟子だったインド人のおばちゃんもプッタにいないし、ヴィーナの愛弟子だった美しいインド人女性も死んでしまったし、さびしかったかもしれません。
あとでお気に入りとなった西洋人の女性ともまだ会えてないようですし。
なくなったその若いインド人女性については、「娘のようだったのに。彼女のことは10年も知ってたんだよ」とか言っていました。

不詳、わたくしと、主名が、今日のお昼の話し相手となりました。
しかし、向こうからやって来てわたしたちの横に座ったおばあちゃん先生に、時の流れを感じました。
気高きおばあちゃん先生がプッタに在住だった時にはありえない状況だなあ、と。

向かいのテーブルには娘二人と孫娘ともう一人の連れが座ってそれぞれご飯を食べました。

ここプッタパルティでは多くの人が来て、去っていくので、いろんなことがドラマチックに思います。
いろんなことがみな移り変わってゆきます。
まだここに住んで3年なのに。

ババだけは変わらずダルシャンを与え続けていますが、それすらもあとどれだけ同じ光景を見ることができるのか、誰にも分かりません。
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【2009/06/09 17:48】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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