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日々
こないだの、アフリカの出し物はよかったです。
音楽プログラムでしたが、ほがらかなかんじで。

ババはプログラムをステージの下に下りて、出演者のすぐ前で聞いていました。
その後なにかあげて、一人一人がパダナマスカールをしてたみたいでした。

最近は疲れ気味です。

主名も何かとよう泣くことも多いし。

インターネットは、モバイルのインターネットの手もあるのですが、BSNLという政府の電話のインターネットに申し込むことにしました。
電話線を引かないといけないのですが、国際電話の手続きはせずに、国内電話だけだとデポジットが500ルピーのみという話です。
国際電話だとデポジットは4000ルピーだそうです。

なので国内電話だけにして(国際電話は携帯があるし)
何ヶ月かかるのか知りませんが、電話線が引けたらその後インターネットの手続きと支払いだそうです。
それは、つなぎ放題で月々750ルピーで、モデムを最初に買うのが1600ルピーで、税金が数十ルピーだそうです。

工事費とかが別に必要なのかどうかは今のところ不明。。。

今朝はババはきませんでした。

昨日は午後に学校に行きましたが、校長や先生たちはババに学校に祝福をもらうとかいって手紙を書くのに夢中で、子供らはほったらかしでした。
私が音楽の予習をしてたら女の子達が来て一緒に練習したがったので、自分らの勉強はしたのかと聞いたら、もらってない、とかいっていました。

書きあがった手紙に署名をしてくれといわれたので、文面を読んで、、手紙の目的を聞いたらババの祝福をもらうため、という話でしたが、もうもらってるんじゃぁ???というと、校長は、それを聞いて、手紙を渡す意味を見失った。みたいな事を言っていました。なんかようわからん。

その後、ババが空港かどこかに向かうので学校の前を通りました。
ババが帰ってくるのもみんな路上で待ってたので、昨日は主名の勉強も私の勉強もヴェーダクラスもなにもできませんでした。。。

たまりかねて、路上で主名の宿題をノートに書いてもらいました。
校長は「それはグッドアイデア」なんて軽快に言っていましたが、
わたしは、なんか、お金と時間を浪費した気分で(学校までオートで往復50~60ルピーはかかるし)気分が悪かったです。

子供たちはたまにしかダルシャンにいけないから、ババが道路を通るカーダルシャンは貴重と思いますが、わたしらはさっさと帰るべきだったなと思いました。

学校にはあまり深入りすべきではないなと最近思います。
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【2009/07/11 17:44】 | プッタパルティ日記 | トラックバック(0) | コメント(1) |
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コメント
インターネットの詳しい情報ありがとうございます。
【2009/07/11 19:16】 URL | SIVANOMUSUKO #-[ 編集]
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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