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タブラー教室
昨日の夜はタブラーレッスンに行きました。
先週のレッスンが、先生が今度は躁ぽくて、だいぶおかしかったので、そのおかしな積極性にぐったりして、昨日行くのは気が重かったのですが、昨日はまともになってました。
でも、インド人て、そんなのかもしれません。

まえ、ひそかに尊敬してたアシュラムの中に住んでるママ友達が、ちょっとこけてちょっと血が出ただけで死にそうになってたのを見て、意外だったのを思い出します。

インド人て、ちょっとなにかあるとあわてふためいて心神喪失状態になる感じ。と、イメージが変わりました。

タブラーの先生は、私をこの先生に紹介したアシュラムスタッフのインド人女性が自分も何か聞きたくなってこの先生を訪問したらしく、私たちのこともお互い話したらしく、それとかもあって、われ(威厳のある先生の人格)を取り戻した様子です。

また、彼に色々英語とか習ったり助けたりする弟子みたいな人たちも加わって、安心感が出たのかもしれないとか思いました。

私の友人のインド人女性に、ほんとのことを言わなくてよかったです。

(習いだしてから、彼女に、彼はどうか、GOODかと聞かれたときに、わたしは、このタブラー教師は大丈夫だったのか、習ってた友達に確認してみてよと、言おうかと思いましたが、踏みとどまりました。単に、「He is OK.」とだけ言いました。そしたら、仕事に忙しく、生活費も稼がないといけない彼女は、色々習える私をいいカルマがあるとうらやましがってて、そのうちあなたが私に教えて、とか言ってました。もちろんただで。)

よかったです。
タブラーを習う(というか、主名に習わせる)だけが目的ですから。

ババが色々人を差し向けて、タブラー教師を支え、助けたのかもしれません。

「男殺し、女殺しという言葉があるけど、あなたがそうなのよ」
などというほとんど呪いの言葉のようなことを趣味で占いをする知人に言われたことを思い出しました。

よっぽどしっかりしてないと(もしくは星の影響を越えていないと)、私と近しく関わるとある種の人には破滅的になるのかもしれません。

インド占星術的に見てもらったときの説明では、私は一人でいるべきなので、そうでない状態になると神の摂理に反することになり、土星が怒って一緒にいる人を攻撃するとのことでした。

タブラーを習いに行くことは弟子入りみたいなものなので、それでも土星は怒ったのかもしれません。タブラー教師は技術云々はともかくとして、家族の生活を背負っているだけに、音楽教室の10代の兄妹先生ほど純粋無垢の強さを保持してないですし。

しかし、インドでものを習おうとすると、レッスンそのもの以外のところが大変なのはなぜでしょうか?
どこでもそうですか?

しかしおかげで、適度な距離感が生まれて、習うのを続けられそうです。
人と人が出会ったときに起こる化学反応がとりあえず一通りおわったかんじでしょうか。
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【2009/08/10 14:25】 | タブラー教室 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

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