スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
サンダル買い替え
今はよるの10時ですが、さっきから土砂降りになりました。
幸い降り出したころにゲストハウスに戻ったので、今日はぬれずにすみました。

ここ数日通ってる日本食レストランは飽きたというので、また、高い方に行きました。

しばらく食費が安く上がっていたので、また2~3倍になるとドキドキしました。慣れって怖い。
ちなみにかけうどん、おしんこまき、白いご飯、野菜いため、かき氷で400バーツほどでした。
ふびんな。。。と思いましたが、えだまめはやめさせました。だって、ちょびっとでばか高いので。

ゆでまめくらい、そこらへんの商店でたくさん売ってそうなので、にたようなものを気をつけてみてみようと思います。
それか、焼きトウモロコシや湯でトウモロコシならそこらにいっぱい売ってるので、きっとそんなんで良いんだろうと思います。

しかししばらく通っていると、店の人もいろいろかまってくれて、主名は甘やかされていました。
主名が背後のテレビを見ながらご飯が食べれるように、お盆を持ってきてくれたり。。。。。(汗)

中途半端な時間に行ったので、いつもですが、ダラダラ長居しました。
主名はトイレも長かった。。。

その後は郵便局に行ったり、スーパーで買い物したり(フルーツフルーツフルーツ!)、日本人がやってる旅行会社に情報収集に行ったりしました。

ここまで来たら
日本によって帰ろうか、と考えないでもなかったので、バンコク成田の往復チケットの値段を聞いたり。
ちなみにその旅行会社ではキャセで、1カ月FIXで13000バーツほどでした。4万円くらい?

でも帰らない(帰れない?)と思います。
心の中でババに聞いたら、絶対帰らないようにとのことでした。
いつもながらどこまでほんとか分からない心の声。

バンコク~バンガロール往復はどのくらいかな?と思って聞いたら、10600バーツでした。
デリーやカルカッタ行きだと多分もっともっと安いですよね?

だれかがネパールを聞いてて、9000バーツほどとのことでした。片道かな?

それにしても、今はかみなりがゴロゴロ鳴ってますけど、バンコクは停電しないですね。
インドだとあっという間に停電。ネパールだと、雷がならなくても日が暮れると朝まで計画停電にされてました。

旅行会社のあとはまた、川の近くの公園に行っていました。
しゅな はからだを きたえるとかいって 、(またかんじへんかんしなくなりました 。)はしりこみやじゃんぷをしていました。
あとでちからこぶをさわらせて、[つよい?]とかいうんですけど、[。。。まあまあね]というと、[なんで?いっぱいはしったのに!]と、からみます。

きょうも 激しくじゃずだんすをやってるしゅうだんがいました。あれはエアロビクス?違いが分からない私。

今日は終わるまで見てました。
さいごは農村地帯の民謡みたいなゆったりした音楽になって、深呼吸とストレッチをしていました。

で、和やかに解散していました。
さいごに、前で踊っていたインストラクターが[コープクンカー、コープクンカー(ありがとう)]と言ったあとに、[ありがとー、ありがとー]と日本語ででも言っていました。
日本人も中にいたのか、それとも日本人が[サンキュー]というみたいに外来語である日本語がタイ語化してたのはどっちかはわかりません。

タイルじきの通路でブレイクダンスをしてる人らもいて、[痛くないんかな?]と思いました。痛いでしょうね?

その後は安い方の日本食レストランに行き、軽く食べました。
私は冷やし中華、主名は白いご飯と、オクラ納豆を食べました。
冷やし中華、じつはインドで食べたかったんですよね。
ここの冷やし中華はまあ、完ぺきではないですけど80点くらいで十分ちゃんと冷やし中華です。
そこでの夕食は120バーツでした。

ここでも、しばらく通ってると覚えてもらえて注文しやすくなりました。
うちらは注文の多い客なので。(要求が)

肉卵シーフードぬきで、子供用に小さなうつわとフォークを持ってきてもらうのにはじめはちょっとした騒動でした。
フォークが通じなくて、[ペプシでいいか?]といわれたり。(コークと思われた)
3~4人の従業員にそれぞれ説明して、ジェスチャーでも通じず、最終的にはだれかがはっと天からのインスピレーションを受けて、持ってきてくれたのがスプーンだったり。

きょうはむこうから [フォークいる?]と、うつわとともに持ってきてくれました。

今日はレストランで雑誌を見つけたので読んでました。
日経WOMAN と、帰国子女のための雑誌。
バンコクからの帰国子女ってすごくおおそうですが、 ばんこくは えいごもたいごもにほんごも ちゃんとべんきょう できそうでいいですね。
バンコクのタウン情報紙にインターナショナルな幼稚園の体験入園の案内も載ってたので、あ、行ってみようか?と思ったりもしました。
この近くに公文の教室があるのも見かけました。

私がずっと履いてるサンダルがとうとう限界で、今まで底が両方とも取れてやぶれたりしたのを ボンドでくっつけてさらに履いていたのですが、こんどは足の甲を抑える布地がひも一本分だけつながってる状態になったので、完全にちぎれるまえにもう買い替えることにしました。

随分長く履きました。
足への衝撃が少なくて、すごく履きやすかったのです。

で、帰りに早速新しいのを買いました。
新しいのは、前のに比べるとやっぱりひざとかに負担が来そうかな。と。

でもまあとにかく新しいのを買いました。

それはそれとして、待ってる手紙がなかなか来ません。
いい加減ちょっと焦ってきました。
どうなってんだ?

ここ2日、メールの返事もなく、
もしかしてだまされた???とか想像が悪い方に傾きがちに。

インドに来て最初にビザを頼んだインド人にお金を持ち逃げされてますから。
あれは大変でした。

まるっきり普通郵便で出してるとしか考えられません。
それにしても20日にすでに出したそうですから、もうまるまる一週間。
フェデックスで出してくれるように頼んでおけばよかった。。。

ええい、どうにでもなれ!
いやいやしかし、なにか状況確認のための手をうった方がいいですね。

この待ちの時間は苦行でしょうか、それとも神が私たちに与えた休日でしょうか???
休日なら、イライラ待たずに休日したいものです。

雨はあがりました。
関連記事
スポンサーサイト
【2009/10/28 01:14】 | Thailand | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<ババの移動 | ホーム | サイラムサイラム>>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://furunosawako.blog59.fc2.com/tb.php/998-2448aa39
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
子連れインド・サイババおっかけブログ


2006年7月16日、当時2歳の息子主名(しゅな)とともに渡印。現在は子供は日本の学校へ通い、わたしのみ南インドで一人暮らし。始まりもなく終わりもない。サイババをめぐり展開しつづける世界。彼の見る夢。愛し合う森羅万象。

プロフィール

古野SAWAKO

Author:古野SAWAKO
1995年7月のグルプールニマのときに母とともに初渡印、初プッタパルティ。衝撃のサイババダルシャン&衝撃の自己覚知。肉体を去るかどうか考えた末、この世界に留まることにする。(21歳)→<カテゴリー>サイババ体験談参照

1996~1998年ごろ、働いたりキャンプしたりしながら日本やアジアを転々とする。

1998年のブッダプールニマ以降はほぼ年に一回ペースで渡印・サイババ詣で。同時にアガスティアの葉なども見に行く。このころは霊的な大混乱&調整期。

2000~2001年にかけての年越しインド旅行でのちに夫となる為替のディーラーの男性と出会う。半年の完全引きこもり浄化期間の後、2002年に突発的に結婚。

引きこもったあとに肉体を離れるチャンスが来るかと思ったのだけど来なかったので、占星術的にほぼパーフェクトの相性が示されていた彼と結婚した。

結婚後、夫の経済支援を受け、美術家としてカルマヨガをテーマとした作品を制作。個展やグループ展を多数開催し、大手新聞3社やタウン情報誌などの取材を受け、カラー写真入りの記事となる。


2003年男の子をマンションの浴槽内で自宅出産。

都会での育児に限界を感じ、子供が生後7ヶ月の時と1年7ヶ月の時にそれぞれ2ヶ月間ほど子連れでインド滞在。沖縄の離島に母子移住を試みるが断念。

ヴェーダチャンティングにはまったのでヴェーダ習得に集中するため、美術家としての活動を終了する。

実家の3部屋を占めていたすべての作品もチェーンソーで細かくして焼却場に搬送処分。

2006年7月16日、なんとなく直感的に籍をはずして当時2歳の息子主名(しゅな)とともにプッタパルティに移住。

このブログはその時点でセルフカウンセリングツールとして始めました。

サイババの学校の老教師の縁を得て2年間ヴェーダチャンティングの習得に専念。

なぜかカルナータカミュージックも強制的に習わされる。

子供は現地の学校に通いつつサイババの学校に入学のチャンスをうかがうが断念。毎日の失意と毎日のサイババダルシャンの至福の恩寵が与えられた、ふり幅の激しい特異な数年間。

2010年5月直感的にインド占星術関連のネットショップをはじめる。

なんらかの危機を予測した仕事仲間のインド占星術師の提案により、2011年3月世界の平安のための大掛かりなプージャをネットショップ主催で試みる。

直後に日本で大震災。

以降、時流の要請に合致した日本と世界の平安のための大規模プージャを人々の祈りに支えられながら次々行うことになる。

2011年4月まさかのサイババマハーサマディー。肉体ダルシャン終了。

不可能だと多くの人に思われていた日本のための大規模プージャが3回とも完全な形で実行される。

インドの地元の新聞やテレビ取材を何度か受ける。

2011年9月子供の父親がインドに移住を試みる。わずか1ヶ月ほどだったが念願のインドで親子3人暮らし。

ビザの延長が認められず、2011年11月より子供は日本の小学校へ。

2012年3月子供の父親もプッタパルティで充電後、日本に戻って新生活スタート。



わたしのインド一人暮らし始まる。

日本や世界の平安のための大規模プージャはその後も多数の方の協力を得て何度も行われました。

この後どれくらい行われることになっているのかは知りません。


神様、私たちをあなたの手の中のフルートにして息を吹き込み、あなたの平安の音色を奏でさせてください。

サマスタ ローカー(ハ) スキノー バヴァントゥ

〔すべての世界のすべてのものが幸せでありますように〕

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

  

               ↑ブログランキング。ここらへんをクリックしてランキングサイトに移動したり、向こうからこちらのサイトに出てくることで順位が上がる仕組みになっています。どこクリックしても似たようなもんです。                                                      

                                    
サイババおっかけブログテーマソング
We shall follow you !

Tweet

free counters
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。